マテーラ
 
1993年にユネスコの世界文化遺産に「マテーラの洞窟住居と岩窟教会公園」として登録された町マテーラ、イタリア南部のバジリカータ州にある町で、旧市街地区は、石灰質の岩肌に作られた「サッシ」と呼ばれる洞窟住居が多くあります。グラヴィーナ渓谷にあるマテーラの旧市街にはサッシが何層にも重なりあって造られていて、その建設時期は明らかでなく、8世紀から13世紀にかけてイスラム勢力の支配から逃れてきた修道僧が住み着いたので範囲化といわれています。又、周辺では旧石器時代の出土品も発見されているのでかなり古い時代に人が住み着いたものとみられています。
サッシ地区は20世紀初頭に人口の急増により衛生状態が極度に悪化したため行政当局がマテーラ郊外に新たな集合住宅を建設し、サッシ地区の住民15,000人近くを強制的に移住させたため無人の廃墟と化しましたが、150以上の石窟聖堂や3,000戸ほどの洞穴住居、地下水路で各戸の貯水槽に上水を供給するシステムなど、ユニークな文化的資産が見直されて世界遺産に登録されたことから観光客が増え、現在では洞窟住居を利用した施設などもできているとのことです。
注:町全体が石灰質の土地ですので、当然道路も石灰質の石畳、晴れていても足を滑らすことがあります。しっかり足を踏みしめて歩かないと滑って大けがをしてしまいます
 
     
  トラモンターノ城
町のカステッロ公園にあるこのお城、16世紀にこの地を支配していたアランゴーナ家がジャンカルロ・トラマンターノ伯爵に売り渡したのちにトラマンターノ伯爵が築城をはじめたものですが、住民に重税を課したことから、住民がこれに反発して伯爵を惨殺。途中で城の建設は中断したままとなっています。
 
     

三輪自動車のタクシー、それもオープンカーです。
 
洞窟住居を利用したレストランで昼食です。
 
    
サン・フランチェスコ・ダッシジ教会
サンフランチェスコ広場に面して建てられている教会で、もともとこの場所には洞窟教会がありましたが、13世紀にロマネスク様式で建てられ、その後18世紀に正面ファサードがバロック様式に変えられたもので、中央の聖母の両側にはカーテンがあるという珍しいファサードとなっています。
   
 
     
花蘇芳の咲いているドメニコ・リドラ通りを歩いてゆくと正面にバジリカータ州国立中世・近代美術館が見えてきます。    
   
バジリカータ州国立中世・近代美術館
1672年に旧カルメル会修道院があった場所に、司教区の神学校として建てられたもので、その後何回か増築されましたが、19世紀半ばに神学校は廃止されて高等学校になっており、2003年からは現在の美術館として使用されることとなりました。
内部にはイタリアのカルロ・レヴィをはじめとする画家たちの絵画や、12~16世紀の宗教美術品が収蔵展示されています。
   
     
プルガトリオ(煉獄)教会
ピアーノ地区に建つこの教会は1747年に建てられたもので、正面ファサードと扉には「死と魂の償還」をテーマにして造られいくつもの骸骨の彫像が施されています。
 
     
 
     
  ジョヴァンニ広場の展望台から見るサッシ地区。正面奥にはドゥオモの鐘楼が見えます。  
     
  ジョヴァンニ広場の展望台から見るサンタ・マリーア・デ・イドゥリス(S. Maria de Idris)教会
サンタ・マリーア・デ・イドゥリス教会はサッソカベオーソ地区にあり、切り立った崖の上に岩盤を掘り抜いて造られた典型的な洞窟教会で、内部には12~17世紀頃に描かれたフレスコ画が残されています。
 
     
  展望台で目を下に向けるとグラヴィーナ渓谷が見えます。グラヴィーナ川には吊り橋が掛けられており対岸に渡ることができるようです。  
   
   
対岸の山肌にはいくつもの洞窟が掘られています。 さらに右を見ると洞窟の上には住居が見えます。窓ガラスが見えることから使われているところがあるのかも知れません。  
     
  サンタ・ルチア・アッレ・マルヴェ教会
こちらは8世紀にベネディクト派女子修道院として建てられた(掘られた?)洞窟教会です。
 
   
   
   
  石灰岩の中には貝殻が埋もれています。何時頃の時代なのでしょうか  
   
 
 
     
マテーラの観光を終えてアルベロベッロに向かいます。明日はツアー最終日です。  
     
     
          
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