ミシュコルツ(Miskolc)

ハンガリー北部にあるボルショド・アバウーイ・ゼンプレーン県の県都であるミシュコルツは、ハンガリー有数の工業都市ですが、古くはケルト人が集落を築いていた歴史があり、中世においてはマジャル人が定住していました。
14世紀にはラヨシュ1世によってディオーシュジュール城が築かれており、17世紀から18世紀にかけてはオスマン帝国の支配下におかれたこともありますが、その後はハプスブルク家の支配下となっていました。19世紀になってからは、ボルショド炭田などの豊富な地下資源によって工業化が進み、ブダペストまでの鉄道が開通するとさらに街は発展しました。
街は19世紀後半にコレラの大流行や大洪水に見舞われて、多くの死者が出たり、建物の崩壊もありましたがその後復興しており、オーストリアからハンガリーが独立したのちも、第二次世界大戦後の共産党政権下でもハンガリー有数の工業都市の地位を保っています。
 
       
   
  ヘルマン・オットー博物館(Herman Ottó Múzeum)
この博物館は、ミシュコルツにある博物館の中では最も大きい博物館で、考古学者であったヘルマン・オットーの名に因んで名付けられています。博物館は、オーストリア・ハンガリー帝国時代の19世紀末に創建されており、現座の名となったのは第二次世界大戦後のことです。
博物館内には考古学関係の遺物約600,000点が所蔵、展示されています。
 
   
 
 


国旗記念碑(Országzászló emlékhely)

ヘルマン・オットー博物館とギョルゲイ・アルトゥール通りを挟んで反対側にあり、1930年代に設けられて記念碑で、その名の通りポールにはハンガリー国旗が掲げられています。
 
      
   
  総合アリーナ(Generali Aréna)
1970年に完成した総合競技場で、アウトドアスポーツ、アイスリンク、各種の室内競技場などが設けられており、コンサートホールとしても利用されています。
 
      
   
  カルチャーセンター(Tudomány és Technika Háza )
総合アリーナの隣に、1960年代の終わりに建てられたもので、図書館を併設する文化・スポーツセンターとなっています。
 
     
 
 


ミンドセント教会(Mindszenti templom)

16世紀の初めに礼拝堂が建てられのが始まりで、1724年にバロック様式で創建されたカトリックの教会で、2つの塔の高さは62mあります。、
 
     
 



ディオーシュジュール城(Diósgyőri vár)

街の中心部から西に車で20分くらい離れたところに建てられているこの城は、9世紀にマジャル人が移住してきたときに設けられた砦が、その起源祝われています。
砦は、13世紀の半ばモンゴル人の襲撃により破壊されましたが、その後14世紀になってラヨシュ1世、15世紀にはラヨーシュ1世が増改築を行っていました。
しかしながら16世紀にオスマン大帝国によってこの地が征服されると次第に荒廃しており、17世紀の後半にハプスブルク家の時代になってからは、反ハプスブルク貴族の重要な拠点となっていましたが、ハプスブルク家に敗れた際に自ら城を破壊したと伝えられています。

城は2012年より修復工事が行われ、2014年には四隅の塔も復元されて往時の姿を取り戻しています。
右の写真は、城の入り口にあるラヨシュ1世の胸像です。
 
 
     
   
     
   
      
 
 
      
 


城内に入るところには甲冑が置かれ、上には女性の絵が何枚も掲げられています。
服装などから見て往時の貴族あるいは王族の人たちを描いたものなのでしょうか。
 


中庭に入ると城内を案内してくれるガイドの方がいます。この服装も当時のものなのではないでしょうか。 
 
     
 
中 庭
 
     
 
 


壁を見ると中央部分で色が違っています。
ガイドさんの説明では、下の部分が往時のもので、上の部分が修復により造られた壁とのことです。
 
   
   
   
 
往時のものと思われるタペストリー
 
     
   
   
 
城内より見るミシュコルツの街並み
 
     
 
 
 
  壁には古い絵が何枚もかけられています。  
     
 
こちらは衣装ケースです。
日本では江戸時代に『長持』と呼ばれる同じようなものを、運搬時に太い棹(長持棹)を通して2人で担ぎ、持ち運んでいました。
 
     
   
  寝室(上)
寝室の奥には浴室(下左)があります。
浴室といっても当時は浴槽ではなく、大きな桶に小桶でお湯を入れていたようです。そばには侍女達にかしずかれて入浴する女性の姿を描いた絵(下右)が掲げられています。
 
 
 
 
     
   
  塔の上に登ってみると、反対側の2本の塔が見えます。左側の塔は修復されて完全な形となっていますが、右側の塔はどうやら修復せずに昔の姿のままとしているようです。
 
 
   
  塔の上から見るミシュコルツの街並み
手前にはルーテル教会(Miskolci Evangélikus Egyházközség temploma)が見え、奥には集合住宅が並んでいます。この集合住宅、写真の左にまだ続いているようで、Googleマップで調べてみると全部で40棟近くも建てられていました。
 
     
   
  板張教会(Deszkatemplom)
この教会は、その名の通り総板張リ造りとなっており、Googleマップでは、「Wooden Chuch」と表示されます。
教会は1637年の創建ですが、現在のようなトランシルヴァニア様式の板張教会となったのは1937年のことです。
最初の板張教会は1997年に放火により焼失しており、現在あるのは2年後に再建されてものです。
 
     
 
 
 
     
   
   
観光を終えてホテルに戻ったのは午後6時過ぎ、今晩はのんびりと過ごします。
 
 
 
 
 
  ホテルの窓からは中秋の名月が見えます。よく晴れているので明日の天気は期待できそうと思っていたら、翌日の朝は久しぶりに朝陽が顔を出しました。  
     
     
      
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