モンセラートとペニスコラ  
       
   
バルセロナのホテルを出発してから約1時間、モンセラート修道院が近づいてきました。モンセラート修道院は標高1200m以上の高地にあるためバスが山道を登ってゆくと、遠くに雪を頂いたシエラネバダ山脈が、カーブを曲がると「ギサギサな山」という意味通りのモンセラートの山並みが望めます。  
     
モンセラート修道院

2013年の9月に訪れて以来2度目の訪問となるモンセラート修道院(モンセラット修道院とも呼ばれています。)、正式な名称はサンタ・マリア・デ・モンセラート修道院付属大聖堂といいます。
前回訪れたときは日曜日とあって多くの信者が訪れていましたが、今回は月曜日の朝とあってまだ訪れる人もそんなに多くありません。又、天気も前回は曇り空でしたが、今日は快晴、但し、時折強くなる風で体がもって行かれるくらいです。 
 
        
  フニクラ
下にあるサン・ジュアン駅からこのロープウエイでサン・ジュアンの山の頂上まで行くことができ、また右側にあるケーブに乗っても行くことができます。
 
     
   
     
   
     
祭壇に向かって右側に黒いマリア像のある場所への通路があります。前回来た時は、行列が長く続いており、並ぶことを断念しましたが、今回は時間が早いこともあってわずか数人しか並んでいません。入口の上にも子供を抱いた黒いマリアの彫像があります。
ミサが始まるとこの入口は閉じられ、終わるまで階段を上ることができません。
   
 
     
   
黒いマリア像は「ラ・モレネータ(黒い女の子)」と呼ばれていてカタルーニャの人たちの守護聖母として親しまれており、ガラスのケースで覆われていますが、一部に穴がありここから手を入れて触ることができます。振り返って聖堂内を見るとミサが始まる前ですので信者も少なくガランとしています。  
     
   
     
     
 
     
  大聖堂に向かって左の壁面にある彫刻、なんか見たような感じと思っていましたら、ガイドさんによると、サグラダファミリアの受難のファサード の彫刻を手がけたジョセップ・スピラックスによるものとか。     ちょっと怖そうな感じの彫像ですが、1025年にこの修道院を創建したABAT OLIBAの像です。
 
     
  修道院から少し離れたところまで歩くと、修道院が切り立った岩山の上にあるのがよくわかります。遠くにはシエラネバダ山脈が見えます。  
     
  修道院から西側の崖沿いを見ますと、遠くに小さく建物が見え、その上のほうには十字架が見えます。
地図で調べると建物(左写真)はErmita de sant joanとあります。Ermitaは日本語に直訳すると「庵」となりますが、礼拝所のようなものでしょうか。
右側の十字架は、地図にはSant miquel とあり、こちらも礼拝所があるようですけど建物は見ることができません。
 
     
   
     
下の2枚の写真は同行したSさんが近くまで行って撮影したSant miquelです。私は途中までで戻って修道院の写真を撮っていましたが、そのまま一緒に行っていればよかったのにちょっと残念です。  
   
   
 
 
   
修道院そばのレストランで昼食をとったのちにペニスコラに向けて出発です。    モンセラートのマップ  
  
 
 
ペニスコラ  
モンセラートから約3時間、午後4時半近くにペニスコラに到着です。モンセラートでは晴れていたのに少し雲が出てきました。せっかくの白い町並みそして地中海の色がよく出ません。
これならモンセラートで時間をつぶして昼食をとるより、途中のタラゴナあたりで昼食をとることにすればもう少し時間が早く到着できたのにちょっと残念な気がします。といってもあらかじめツアーで設定された場所での食事ですからしょうがないですかね。
ここペニスコラは、バレンシア州の地中海に面したコスタ・デル・アサール(Costa del Azahar)という地域にあります。「アサール(Azahar)」とはオレンジの花の意味だそうですので、直訳すると「オレンジの花の海岸」でしょうか。バレンシア地方はオレンジの名産地で、モンセラートからペニスコラに来る途中の道沿いには広大なオレンジ畑が続き、たわわに実ったオレンジがよく見えました。
ペニスコラは、紀元前7世紀にはイベリア人が住んでいた遺跡も残されるという古い街で、その後、フェニキア人、カルタゴ人、ローマ人などによって占領され、8世紀にはアラブ人によって要塞が築かれていました。13世紀の半ばにはアラゴン王国によって占領されており、13世紀末から14世紀のはじめにかけてテンプル騎士団によって造られたペニスコラ城が、地中海に突き出た岬にあります。
ペニスコラは、「スペインで最も美しい村協会」に属しており、スペインのいちばん美しい村のひとつで、海岸線には白壁の街並みが続く街で、人気の観光地となっており、ヌーディストビーチもあるようですが、3月も初旬では訪れる人はいそうもありません。
 
   
   
海沿いにある駐車場でバスを降りるとすぐにペニスコラ城の城壁が見えます。城壁の中には多くの民家が建ち並んでいるようです。晴れていれば白壁の家がきれいなんでしょうけど少し曇ってきました。  
     
  城壁からは湧水が出ています。
住民たちはこの水を利用しているようですけど、海のそばでの湧き水なので塩分が含まれてはいないのでしょうか。
 
        
  門を潜って城内に入ります。城門の中央真上にはベネディクトゥス13世(パパ・ルナ)の紋章が刻まれています。
この城は、1960年に映画『エル・シド』が撮影されたことで知られています。
 
 
   
   
城内にある民家のベランダは色鮮やかなタイル画で装飾されています。
日本ですと、ベランダの下側まで装飾することはめったにないですけど、無機質なものより通る人の目を和ませてくれる暖かな気配りではありませんか。
 
   
     
 
     
  貝殻の家
城内の路地には「ラ・カサ・デ・ラス・コンチャス(La Casa de las Conchas)」と青い看板のある家があります。壁には一面にいろいろな種類の貝殻が貼り付けてあります。
観光客が訪れだしたころの1950年代、この地域に住んでいた貧しい家族の母親が、観光客のガイドをして得たチップをもとに土地を買って建てた家に、家族への愛情を表現するために貝殻を貼り付けて飾ったとのことで、現在ではペニスコラを代表するシンボルとなっているようです。
 
 
     
  ベネディクトゥス13世の像
ペニスコラ城の入口に、城壁を背にしておかれているこの像は、「パパ(ローマ法王)・ルナ」とも呼ばれた人で、アラゴン王国の貴族に生まれ、カトリック教会の混乱期に教皇となりましたが、廃位となって、アラゴン王アルフォンソ5世の庇護のもとペニスコラ城で亡くなるまで隠遁生活を送っていました。
 
     
  ペニスコラ城の模型
高い城壁で囲まれた城は、他の城とは全く違った形で造られており、攻めるには難しい城のようです。
 
     
城内の教会
教会内には、ベネディクトゥス13世の紋章が織られたカーペットが飾られています。
     
 
       
   
       
   
     

ペニスコラ城から見るコスタ・デル・アサールの海岸線
 
     
 
     ペニスコラのマップ
 
   
        
もう少しゆっくり見たかったのですが、見学時間は5時半までのようで、警備員に追い立てれらるようにして城外に。今日の宿のあるバレンシアに向かいます。  
     
  ペニスコラを出発して約20分、バスの車窓から山の上にお城が見えました。
Google mapではCastilloDe Santa Magdalena De Pulpisとありますが、ネットで調べると、どうやらサンタ・マグダレナ・デ・プルピスという街にある、12世紀末にテンプル騎士団によって造られた城のようです。
 
       
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