世界文化遺産百舌鳥・古市古墳群(2022.09.23から09.25撮影)
 
ツアーのスタートはに徳天皇稜の観光からです。事前に調べたところでは、堺市市役所の最上階の21階に展望ロビーがあり、ここから仁徳天皇稜古墳をはじめとする古墳が一望できるので、最後にツアーを離団して寄ってみるつもりでいたところ、なんと、予定表には書かれていないこの場所からスタートすることがわかりました。ラッキー

訪れる古墳で、世界文化遺産に入っているのは下記の通りです。
 
仁徳天皇稜(大仙稜古墳) 百舌鳥エリア
履中天皇陵古墳(ミサンザイ古墳)
七観音古墳
旗塚古墳
孫大夫山古墳
旗塚古墳
寺山南山古墳
竜佐山古墳
土師ニサンザイ古墳 古市エリア
応仁天皇陵(誉田御廟山古墳又は誉田山古墳)
誉田丸山古墳
大鳥塚古墳
古室山古墳
仲姫命稜(仲ツ山古墳又は仲津山古墳)
鍋塚古墳
 
 
 

永山古墳
 
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仁徳天皇稜古墳
奥はニサンザイ古墳

丸保山古墳
 
 
履中天皇陵古墳
 
   
 
  ① 仁徳天皇稜古墳
仁徳天皇稜古墳は、第16代天皇の仁徳天皇を葬ったお墓で、大仙稜(だいせんりょう)古墳又は大山(だいせん)古墳とも呼ばれており、墳丘長が525m、周濠を含む全長が840mある国内最大級のみならず世界でも最大級の墳墓で、5世紀前半から半ばに築造されたと推測されています。
墳墓からは須恵器や埴輪、甲冑などが出土していますが、この古墳をはじめとして管理しているのは宮内庁であり内部公開は一切されていません。
 
 
  田出井山古墳
観光予定には入っていませんが、展望ロビーから一望できるこの古墳は、百舌鳥・古市古墳群の世界文化遺産の構成資産の一部で、5世紀中ごろに築造された第18代天皇の反正天皇陵墓で墳丘長148mの前方後円墳です。
築造時は二重の濠でしたが、現在は一重の周濠となっています。発掘調査では円筒埴輪や形象埴輪、須恵器などが出土しています。
 
 
  仁徳天皇稜の拝所
 
 
  仁徳天皇稜と陪塚の復元模型
墳墓は3重の周濠に囲まれていてその外側には丸保山古墳、永山古墳、孫大夫古墳など十数基の陪塚(ばいちょう)がめぐらされています。
なお、陪塚には、親族や臣下が埋葬されたり、埋葬者の副葬品が埋納されています。
 
 



② 履中天皇陵古墳

ミサンザイ古墳あるいは上石津ミサンザイ古墳とも呼ばれる履中天皇陵古墳は、第17代履中天皇の稜と治定されている墳墓で、5世紀初頭に築造されたと推定されており、墳丘長365m、後円部の高さが約28mある前方後円墳です。
下の写真は後円部の中央付近から撮影しています。
 
 
 
 
 



 七観音(しちかんのん)古墳

履中天皇陵(ミサンザイ古墳)の外周部にあたる大仙公園内の南西部にあり、5世紀前半に築造された、履中天皇陵の陪塚と思われている直径32.5m、高さ3.8mの円墳です。発掘調査の結果濠は設けられなかったとのことです。
 
 
 
 



④ 旗塚古墳

5世紀中頃に築造されたと推測されているほたて貝型前方後円墳で、後円部は2段に築かれ、後円部南側のくびれ部寄りには造り出しがあります(右の写真の下側)。
大きさは墳丘長が約58m、後円部の直径は約42m、後円部の幅が約25mあります。
墳丘のテラス部には円筒埴輪列があって、その前には形象埴輪が置かれていたとのことです。埴輪は他にも家型や盾形、草摺型など種々な埴輪が置かれていたとのことで、ここで祭祀が行われていたと推測されています。

 
 
   
 



⑤ 孫大夫山古墳

大仙公園内の北側にある前方後円墳の古墳で、仁徳天皇稜古墳の陪塚とされており、5世紀前半の築造と推定されています。
古墳の墳丘長は65m、後円部の直径が48mあります。残念なことに前方部の輪郭や彫は埋没保存となっています。


大仙公園の地図
 
 
 
 
  鳶塚(とびづか)古墳
大仙公園内にある古墳で、調査によると墳丘の直径が約21m、高さが約3.3mの円墳ですが、外側に幅3~3.5mの濠があったようですけど、昭和30年代に土取りで全ての墳丘が取り払われており、平成10年以降に植林地で墳丘の姿に復元しています。
 
 
   
衝角付兜(しょうかくつきかぶと)型埴輪

古墳時代中期に制作・使用された兜の一種で、古墳の副葬品として出土してしています。
衝角付の名は、兜本体の形状が正円の半球型ではなく正面側が軍艦の舳先に付けられた「衝角」のように突き出していることに由来しています。
右の写真は、堺市博物館に展示゛されいる出土品
 
 
  堺市博物館
大仙公園内にあるこの博物館は、市制施行90周年を記念して開館したもので、「百舌鳥古墳群と堺の歴史・文化」をコンセプトにして百舌鳥古墳群からの出土品や「堺」の歴史資料、千利休をはじめとする著名人の資料が展示されています。
 
 
  組合(くみおわせ)式家形石棺
市内中区の見野山にあった6世紀中頃の湯山古墳から出土した石棺で、長持型の石を組み合わせて作られた石棺で、流紋岩質凝灰角礫岩で造られており全体の長さが約2m、幅が1mあります。
 
 
 




⑧ 竜佐山(たつさやま)古墳
 
仁徳天皇稜の陪塚となる古墳で、孫大夫古墳と共に仁徳天皇稜のそばにあります。墳丘の形は前方部の短い帆立貝の二ような形の前方後円墳で、墳丘長が61mあり5世紀後半から末にかけて築造されたと推されています。
 
 
  
 
 



⑨ 土師(はじ)ニサンザイ古墳

百舌鳥古墳群の南東端にある土師ニサンザイ古墳は、5世紀後半に築造された墳丘長が300mの日本で7番目の大きさの前方後円墳です。
墳丘は3段となっており、南側には造り出しが設けられています。築造時には外堀もあったとのことですが、現在は埋没しています。
 
 
 


⑩ 応仁天皇陵(誉田御廟山〈こんだごびょうやま〉古墳)


5世紀の初めに築造されたと推定されているこの稜は、実際の被葬者は明らかではないものの宮内庁は「恵我藻伏崗陵(えがのもふしのおかのみささぎ)」として第15代天皇の応仁天皇の稜に治定しているとのことで、墳丘長は425mあり全国第2位の規模となっています。量の間我には二重の濠が設けられていましたが現在は内側の濠だけが残されています。なお、稜からは埴輪のほかに円筒、兜、鎧や土師器、魚型土製品などが出土しています。
 
右の2枚の写真は稜のそばを通る道路の歩道に設けられているモニュメントです。
 
 
     
 
 



⑫ 大鳥塚古墳

墳丘長110mの前方後円墳で、後円部が3段、前方部が2段に築かれていて、くびれのところに造り出しが設けられるという変則的な構造となっています。外周にある濠の幅は狭く、空濠であったとみられています。
 



赤面山(せきめんやま)古墳

大鳥塚古墳の陪塚と推定される一辺が15mの方墳で、なんと今は高速道路(西名阪自動車道)の下となっています。
 

 
 
  ⑬ 古室山古墳
墳丘長150mの4世紀末から5世紀の初めにかけて築造されたと推定される墳丘長が150mの前方後円墳で、円筒埴輪、形象埴輪が出土しています。
 
 
  ⑭ 仲姫命稜(仲ツ山古墳又は仲津山古墳)
宮内庁が「仲津山稜(なかつやまのみささぎ)」として第15代応神天皇皇后の仲姫命の稜として治定していますが、実際の被葬者は定かでないようです。
5世紀前半に築造された墳丘は全長が290m、後円部の高さが約26mとなっており、古市古墳群の中では2番目の大きさです。主体部からは石棺や勾玉、葺石と埴輪などが出土したとのことです。
 
 
   
 



⑮ 鍋塚古墳

仲姫命稜の後円部に接するようにして築造されている一辺が40mの方墳ですが、築造時は約63mあったと調査で判明しており、濠も設けられていたのではと推測されています。


 
 
   
 



おまけ


仲姫命稜のそばにある澤田八幡神社では珍しい風景が見られます。
なんと神社の境内に踏切があり、近鉄の電車が通過してゆきます。
  
 
  
 
 
   
     
     
     
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