分断された街ニコシア

キプロスの首都であるニコシア(ギリシャ語では「レフコシア」)、この街の歴史は新石器時代から始まるといわれており古代には「レドラ」と呼ばれていた都市国家であったようです。12世紀末に建国されたキプロス王国は、15世紀末にはヴェネツィアの、16世紀後半にはオスマン帝国の支配下となり、19世紀後半にイギリスが支配下におさめるとその首都として発展しました。
街の旧市街は16世紀ヴェネツィア時代に築かれた4.5kmにも及ぶ城壁で囲まれており所々に砦がおかれており、ファマグスタ、パフォスそしてキレニアと呼ばれる城門のいずれから旧市街に入ることとなっています。
なお、1974年に発生したキプロス紛争により街の中央をグリーンラインが通っています。したがって北側に行くにはグリーンラインにある検問所にてパスポートを提示しビザを取得しなければなりません。
 
ニコシア旧市街  
   
ホテルで一休みしてグリーンラインを通過してトルコ側の見学です。本来は別の国として紹介すべきでしょうがここでは「ひとつの街」として紹介します。
ここのイミグレでひと悶着。添乗員さんがツアー客全員を連れて到着し、申請しようとするとトルコ側の現地ガイドがいないとだめといわれ押し問答。結局三々五々イミグレで申請して入国
ビザの用紙に名前、パスポート番号、国名を書いてパスポートを添えて申請、入国許可のハンコはその用紙に押されます。出国時にも押してもらうので大事に持っておかねばなりません。
わずか小一時間の北キプロスです。
   
   
グリーンラインと呼ばれる緩衝地帯
キプロスを二分するグリーンラインは全長300km、コンクリート壁、有刺鉄線、監視塔で構築されおまけに一部には地雷まで敷設されているようです。
 
   
 
街中の雰囲気もチョット変わります。表示もトルコ語に  
   
ビュユック・ハン
オスマン帝国がキプロスを征服した後に、時のキプロス総督ムザッフェル・パシャが築いた隊商隊宿です。現在内部はレストラン、アンティークショップ、お土産やさんとして利用されています。
 
   
 
   
セリミエ・ジャーミイ・モスク
13世紀の初めに聖ソフィア大聖堂として建てられたものの、16世紀後半のオスマントルコの進出によりモスクとして改造されたものです。
 
    
オールド・バザール
セリミエ・ジャーミイ・モスクのそばにある公設の市場、入口には1939年開設の表示があります。中を覗いてみましたが夕方6時近くとあってお店も閉まりかけており、客の姿もほとんどありません。
 
   
 
        

夕暮れ間近の商店街(右も同じです)
 
   
2月26日、今日も早く目が覚めます。
朝食前に街中を散歩するとこのような城壁を見かけます。丸っこい形の城壁はチョット変わっています。
 
    
 
    
ホテルから数分のところでマーケットを行っているとのことで出かけて見ました。野菜、果物が中心のマーケットです。  
   
 
   
後ろを向いて座っているおじさんの頭より大きいカリフラワー、確か2€(290円くらい)の値段がついていましたが、持たせてもらうと4、5kgぐらいありそうでずっしりとした重さです。安い!  
   
みかん1€、バナナ1€、キウイ2.5€と値札がついていますが、いずれも1kgの値段です  
   
ファマグスタ門
ヴェネツィア共和国時代の16世紀に造られた城門のうち一番大きい城門とのことですが、朝早い時間とあってまだ開いていません。
 
 
 
エレフテリア広場はヴェネツィア時代に築かれた城壁を利用して造られています。芝生かあるところは当時お濠だったのでしょうか  
   
ポドカターロ砦跡にある自由の記念像
現地ガイドは「自由の女神の群像」といってましたけど、1970年にキプロス独立10周年を記念して創られたこのモニュメント、牢獄の鉄格子を開けて外に出てゆく様子が表現されています。
 
   
ニコシア旧市街もう少し見てみたいけど、今日はマルタへの移動、午前11時半出発の飛行機に間に合うよう空港に出発です。      
  
 
 
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