西本願寺
 
西本願寺は、正式なお寺の名前は「龍谷山本願寺」という浄土真宗本願寺派の本山で、市民の間では「お西さん」の愛称で親しまれているお寺です。寺は親鸞の廟堂として文永7(1272)年に、東山の吉水で創建されましたが、比叡山延暦寺などから迫害を受けたこともあって転々とし、天正9(1591)年に大阪天満から豊臣秀吉の寄進により移転したものです。
境内には桃山文化を象徴する建造物が多く残されており、平成6(1994)年にユネスコの世界遺産に「古都京都の文化財」として登録されています。
 
      
   
  総門
堀川通と交差する正面通りにある総門は、江戸末期に設けられたもので、現在の地に落ち着くまで三度移築されたといい、切り妻造りの一間高麗門形式で建てられ、国の重要文化財に指定されています。
 
     
   
  御影堂門(ごえいどうもん)
堀川通に面して正保2(1645)年に設けられた西本願寺の門の中では一番大きな四脚門で、入母屋造りの本瓦葺きで木造総欅造りとなっており、間口約11m、棟高約14mあります。(国の重要文化財に指定)
 
     
   
  御影堂門の吊灯篭  
     
 
 
  阿弥陀堂門
重要文化財に指定されている阿弥陀堂門は、御影堂門の北側にあって享和2(1802)年に切妻造、前後軒唐破風付の四脚門で建てられたものです。
 
     
   
  阿弥陀堂(国宝)
西本願寺の本堂である阿弥陀堂は、宝暦10(1760)年に再建されたもので、高さ25m、東西42m、南北45mあって、中央に本尊阿弥陀如来の木像、左右にインド・中国・日本の念仏の祖師七師と聖徳太子の影像が安置されています。後のスペースが足りず24mmの広角レンズでも全てを写すことができません。
 
     
   
  御影堂(国宝)
寛永13(1636)年に再建された御影堂は阿弥陀堂より一回り大きい高さ29m、東西48m、南北62mあり、中央には親鸞聖人の像が安置されていて、寺の重要な行事を執り行う場所となっています。
 
     
 
御影堂の内陣
 
      
   
  阿弥陀堂(右)と御影堂(左)は渡り廊下で繫がれています。  
     
   
  大銀杏
御影堂の前にある推定樹齢が400年を超す銀杏の木で、天明8(1788)年、元治元(1864)年の火災に際にも火の粉を浴びながら生き残ったといわれ、高さはそれほどでもありませんが、枝が横に大きく伸びている珍しい形となっています。
 
     
   
  書院
国宝に指定されている書院には、白書院、黒書院そして対面所があり、元和3(1617)年の火災後の寛永7(1630)年に再建されたものです。
 
      
   
  太鼓楼
当初は境内の南東隅に建てられていたものが火災に遭い、寛政元(1789)年に東北角に建てられ、法要の時刻などを知らせるために打ち鳴らした太鼓が現在も内部に置かれています。幕末には新選組の屯所が置かれていたこともあり、当時につけられた刀傷が残っているとのことです。
 
     
 
 
  御成門
重要文化財に指定されている門で、江戸時代後期に本瓦葺き、切り妻造りで建てられています。
 
   
  唐門
寺の境内の南側の北小路通に面して建てられている門で、書院への正門となります。門は、四脚門形式で、檜皮葺き、正背面は唐破風造、側面は入母屋造の「向い唐門」となっていますが、その創建時期は明確になっておらず、聚楽第の遺構とも伏見城の遺構とも伝えるられています。
総漆塗り、極彩色彫刻と鍍金金具で装飾しており、一日中眺めていても飽きない門とのことで「日暮門」の別称があります。
 
 
唐門の装飾彫刻
 
      
   
  伝道院(重要文化財)
総門より東本願寺に向かって正面通りを行くとすぐ右手に見えてくる煉瓦造りのこの建物は、明治45(1912)年に真宗信徒生命保険株式会社の社屋として建てられたもので、その後様々な形で利用が行われて、現在は本願寺伝道院として用いられています。
 
     
 
 
      
     
     
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