能登の旅 その1(2020.02.11~02.13)

クラブツーリズムで2泊3日の奥能登絶景巡りのツアーがあったので参加してみました。
 
     
 
 
  羽田から1時間で、のと里山空港に到着します。 
 
 
   
  最初の観光は能登ワインのワイナリー、ぶどう畑をパチリと一枚。本来ならば雪景色となるところでしょうが、空港では見かけた雪がここでは全く見かけません。
 
 
 
雲一つない空なのでホテルの屋上で星空を撮影と思って写真を撮りましたが、三脚を持ってこずおまけに魚眼レンズも持ってこなかったためご覧のようにわずかに星が写るだけでした。横着しては駄目ですね。
 
 
   
  羽咋のホテルの夕食は、右上から能登牛鉄板焼き、甘海老の刺身、中央上からマフグの握りずし、八目の煮付け、蛍烏賊の沖漬け、左上が魚汁鍋です。
 
   
  ホテルの屋上から見る能登の日の出
正面の山並みは立山連峰です。この地方の言い伝えでは立山連峰で日の出を見ると翌日は天気が悪くなるといわれているとのことで、天気予報は午後から曇、明日は雨となっています。
 
 
   
  富山湾方向には朝霧が発生しておりぼやけて見えます。
 
午前9時、能登金剛(巌門園地)に向けてホテルを出発といっても目的地迄はわずか10分足らずです。
 
 
   
  巌門の駐車場からの風景
右端の岬は猪鼻崎、遠景はかつての西海村で現在は合併により志賀町となっています。
 
 
   
  松本清張の歌碑
1958年(昭和33年)に、『虚線』という名で発表され、その後『零の焦点』のタイトルで連載され、映画化もされている松本清張の推理小説の舞台が、ここ能登金剛です。
歌碑は小説発表後に、この地で身を投げた女性を哀悼するために、1961年(昭和36年)に建てられたもので、作者の松本清張が詠んだ「雲たれて ひとりたけれる 荒波を かなしと思へり 能登の初旅」の歌碑が刻まれています。
 
 
   
  千畳敷岩
長年の荒波による浸食で独特の岩肌が形成された海岸ですが、冬場は岩海苔摘みの場所にもなり、訪れたこの日は波も穏やかで何人かの人たちが岩海苔を摘んでいました。
 
   
   
   
  巌門洞窟
遊歩道の階段を下りて行くと洞窟に至ります。巌門洞窟と呼ばれており、自然下りた先はぽっかりと空洞となっていて、海辺に出ます。出たところから巌門と鷹の巣岩が見えます。
 
 
   
  鷹の巣岩(左)と巌門(右)
鷹の巣岩は高さ約30m周囲が150mある岩で、昔湖の岩の上に鷹が巣作りしていたことからその名がついたといわれています。右側の巌門は日本海の荒波による自然浸蝕でできた洞門で、幅6m、高さ15m、奥行き60mあります。
 
 
 

鷹の巣岩

巌門
 
     
   
  猪鼻崎と機具岩
少し見難いですが、猪鼻崎の奥に見える岩が機具岩(はたごいわ)といい、別名を能登夫婦岩といいます。
 
 
   
  幸せのがんもん橋
ゼロの焦点が発表された後、自殺者が続出したことから暗いイメージを払拭しようということでこの名がついたとのことで、水面からの高さ約30mのところに長さ39メートルの橋が架けられています。
 
     
   
  ハリセンボンの剥製
ハリセンボン(針千本)はフグの仲間で、体を膨らませて体表にある多くの棘で相手を威嚇します。名前に「千本」とありますが、実際に針の数を調べたところ平均的には400本弱であったとのことです。

 
午前10時、のと鉄道七尾線の能登中島駅に移動、ここから穴水までのと鉄道に乗車します。
のと鉄道は、旧国鉄の能登線が廃止された際に石川県が中心となって発足した第三セクターによって運営されている鉄道です。開業時点では穴水から蛸島までの能登線と、穴水から蛸島までの七尾線がありましたが、ともに廃止されており、現在はここ七尾駅から穴水駅までの33.1kmが営業されています。

 
 
 
能登中島駅
 
     
   
  ラッセル車
雪が積もらない地域に住んでいる我々にとってはほとんど縁のない鉄道車両ですが、豪雪地帯の人たちにとってはこの除雪車両は冬期に活躍する車両です。
 
 
   
  オユ10形鉄道郵便車
1957年(昭和32年)から1971年(昭和46年)の間まで製造された旧郵政省所有の軽量構造の全室型郵便車で、車両の中で区分け作業ができる部屋がありました。鉄道郵便は1986年(昭和61年)に廃止となったため廃車となっており、ここ能登中島駅で保存活用されています。
 
 
 




我々ツアー客が乗るのはワンマン運転の気動車NT201形で、1両編成です。
 
   
   
     
 




海岸に櫓が建てられています。
櫓の手前の柱には「日本最古の漁法 ぼら待ち櫓」と書かれています。
櫓の上に人の姿のように見えるものがあります。調べてみると、ボラは警戒心が非常に強い魚なので、漁師はこの櫓の上でボラが海底の張った網の上を通るのを待ち、ボラが網の上を通るときに引き上げて獲っていたとのことです。
昔はここ七尾湾にはいくつもの櫓があったそうですが、1996年(平成8年)を最後にこの漁は行われておらず、今残っているのは観光用の櫓だけとなっています。
 
     
   
  能登鹿島と穴水の間にある乙ケ崎トンネルに入るとLEDによるイルミネーションがあります。のと鉄道が冬の間の約4ヶ月間点灯しているもので、105mという短いトンネルですが、通過時に利用客を楽しませる目的でおなわれています。
 
 
   
  七尾駅に着いたところで3番線ホームに停車しているラッピング電車発見、この電車「花咲くいろは HOME SWEET HOME号」と名付けられているようで、時間があればそばに寄って写真を撮りたいんですがそうも行きません。
 
 
   
  駅の外に出てみると「干し柿」が吊るしてあります。この地方では、「ころ柿」と呼んでいるようですが、調べてみるとすぐ近くに道の駅があり、その道の駅の名前が「ころ柿の里 しか」というようで、ここの宣伝のようです。
 
 
 
穴水駅
 
 
   
穴水の駅から小一時間で鵜飼海岸(着崎海岸)に到着です。
ここには空海伝説の残る見附島があります。鵜飼い海岸の対岸には立山連峰が見えますが、あいにくの曇り空で雪を抱いた立山の山々は薄っすらとしか見えません。
 
 
   
  見附島
海岸から300mほど離れたところにあるこの島は、今から258万年以上も前の新第三紀時代にできたとといわれる珪藻泥岩からなる白亜の島で、周囲が約400m、高さが約28mの小さな島で、その形が軍艦に似ていることから「軍艦島」とも呼ばれています。
島の名前は、空海(弘法大師)が佐渡からこの地方に来たときに見つけた島、または、加志波良比古神(かしはらひこのかみ)が最初に見つけたともいわれいます。島には見附神社が置かれましたが、年月を経て風化し現在は見る影もないようです。
 
 
 
 
 
 
空海の立像
 
見附の社
 
 
     
     
     
      
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