大原の里散策
 
 
比叡山にほど近く若狭街道(若狭鯖街道)が通る大原、若狭湾と平安京の中継地点して平安時代より栄えたところで、地名の大原は、平安時代初期に慈覚大師円仁が修練道場として開山した大原寺(だいげんじ)に由来するとされており、比叡山の北西に位置することもあって、三千院、寂光院、来迎院など天台宗系の寺院が多く建立されました。
大原は戦乱や政争が続いた時代に京都からの脱出ルートとして用いられたことが多く、惟喬親王や建礼門院をはじめ西行や鴨長明など多くの人たちの出家、隠遁の地として知られています。
ここ大原では、平安時代より、筒袖に帯を前で結び、脚絆にわらじ履きという独特の姿をした「大原女(おはらめ)」と呼ばれた女性たちが、薪炭を頭に乗せて京の町まで歩いて行商したことで知られており、昭和40(1965)年にご当地ソングの先駆けともなったデューク・エイセスの「女ひとり」が発表され、大ヒットするとともに多くの観光客が訪れることとなりました。
 
  
 
   
   
大原のバス停から「大原女の小径」と名付けられた細い上り坂の道を歩くこと約10分で三千院の門前にたどり着きます。  
     
三千院
 
延暦年間(782~806)に最澄の開基によって創建されたお寺で、三千院門跡、梶井門跡、梨本門跡などとも呼ばれ、清蓮院、妙法院とともに天台宗の三門跡寺院のひとつに数えられています。

写真は寺への入り口となる御殿門
(所在地:京都市左京区大原勝林院町187)
   
     
   
     

                          金色不動堂
 
                           観音堂
 
        

                          往生極楽院
 
 
 
        
     
 
わらべ地蔵  
     

                           慈眼の庭
 
                            朱雀門
 
     
   
阿弥陀如来像    弁財天像    西方門 
 
     

             三千院側の欄干には「末明橋」
  一つの橋に二つの名前
写真では判り難いですが、三千院から実光院に向かう途中にある律川、ここに架かる朱塗りの橋、橋の欄干には「末明橋」とありますが、実光院側の欄干には「茅穂橋」とあります。
一つの橋に二つの名前があるなんて、何とも奇妙ですね。
 
   実光院側の欄干には「茅穂橋」
 
     
大原法華堂
 
法華堂の隣には後鳥羽天皇と順徳天皇の大原陵がありますが、この法華堂は、隠岐の島で亡くなった後鳥羽天皇の冥福を祈るため、その遺骨が埋葬されています。

(所在地:京都市左京区大原勝林院町)
   
     
勝林院
 
正式なお寺の名前は、魚山大原寺勝林院といい、「問答寺」、「証拠堂」とも呼ばれ、承和2(835)年に慈覚大師円仁によって開かれたと伝えられています。寺は一時荒廃しましたが、長和2(1013)年に寂源によって復興されたものです。

(所在地:京都市左京区大原勝林院町187)
   
        
法然上人の腰掛石
 
勝林院から宝泉院に向かう道の角にある石で、浄土宗の開祖といわれる法然上人が勝林院を訪れた際に腰を掛けたと伝えられている石です。
   
     
宝泉院

勝林院の僧房のひとつとして長和2(1013)年にされたお寺で正式な名称は魚山宝泉院といいます。
右の写真中央は、京都市の登録天然記念物に指定されていて、樹齢700年余といわれる五葉松で、樹高11m、枝張りが東西14メートル、南北11.5mあり、近江富士と呼ばれる三上山を象った扇形の樹冠となっています。
(所在地:京都市左京区大原勝林院町187)
   
     

                         囲炉裏の部屋
 
                      廊下から見る鶴亀庭園
 
     

法然上人衣掛けの石
 
 手水鉢
 
      網代駕籠が何故か天井に
 
  枯山水庭園の宝楽園
 
     
  平成17(2005)年に、山形県や長野県から約300tもの石を運んで作庭された枯山水庭園の宝楽園  
     
宝泉院を出てから寂光院に向かいます。ここから歩いて約20分位かかります。  
    
   
高野川(左)と大原の里の風景(右)  
     
朧(おぼろ)の清水
寂光院に向かう途中の大原女の小径にある湧き水ですが、今は水も少ないようでわずか奥の方に少しあるようです。
言い伝えでは、建礼門院が京都から寂光院へ移ってきた際、この清水のあたりで日が暮れ、朧月夜(春の季節の月光)によって自分の姿がこの水溜りに映った。そのやつれた姿を見て身の上を嘆いたといわれています。
(所在地:京都市左京区大原草生町102)
   
     
寂光院
 
寺の正式な名称は清香山玉泉寺寂光院といい、聖徳太子によって推古2(594)年に開基されたと言い伝えられている歴史のあるお寺です。
寺は平清盛の娘である建礼門院徳子(平徳子)が平家滅亡後に隠棲したところで、『平家物語』ゆかりの寺として知られています。
寺の本堂は、豊臣秀吉の側室であった淀殿の命で、賤ヶ岳七本槍で知られる片桐且元が慶長年間(1596~1615)に再興しましたが、平成12(200)年の5月に放火により焼失し、平成17(2005)年に再建されたものです。
受付を抜けると細い石段が続き、山門に至ります。
(所在地:京都市左京区大原草生町676)
   
 
     

本堂
 
汀の池
 
   
  鐘楼
池のそばにあり、江戸時代に建てられた鐘楼の梵鐘は「諸行無常」の鐘と呼ばれています。
 
     
  建礼門院御庵室跡
寂光院で隠棲していた建礼門院が住んでいた庵の跡で、建礼門院は平家一門の菩提を弔いながら建久2(1191)年にこの地で亡くなりました。
右の写真は庵のそばにある井戸で、建礼門院が使用していたとのことです。
 
 
   
 
   
 
       
      
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