オシフィエンチム

クラクフから約1時間のところにあるオシフィエンチムはポーランドの南部の都市ですが、ドイツ語ではアウシュヴィッツと呼ばれています。そうです、第二次世界大戦においてアドルフ・ヒトラー率いるドイツ・ナチスが国家をあげて推進した人種差別的な抑圧政策により忘れ去ることのできない大きな惨劇が行われたところです。
第2次世界大戦でポーランドを侵略したドイツ・ナチスは労働力確保の名目のもとに政治犯、ユダヤ人、捕虜、同性愛者、精神障害者、若年者、老人等を強制収用し、大量虐殺したものです。その被害者の数は戦後のニュルンベルグ裁判では400万人、11995年以降は150万人とされていますが正確な被害者数は不明のようです。
学校時代にアウシュヴィッツで惨劇が行われたと教わったのは50年以上も前のことですが、実際にこの目で見て余りの惨さに声も出ないというのが実感でした。
我々ツアー客をガイドしてくれたのは、ここアウシュヴィッツでただ一人の専属日本人ガイドとして働いている中谷さんでしたが、アウシュヴィッツには年間140万人以上の人が訪れているにもかかわらず、日本人はわずか1万人くらいとのことで、「もっと日本人も訪れてほしい、自分の目で何がここで行われたか見てほしい」といわれていましたが、通り一遍の授業で終わることなく、若い人たちも過去の歴史を見直す必要があるのではないでしょうか。

なお、このアウシュヴィッツ強制収容所は「アウシュヴィッツ強制収容所」として1979年にユネスコの負の世界遺産として登録されています。(登録名称は2007年に「アウシュヴィッツ・ビルケナウ−ドイツ・ナチの強制・絶滅収容所(1940年〜1945年)」と変更されています。)


アウシュヴィッツ第一強制収容所
現在この地はでは、収容所棟が28のほかにキッチン、警備棟、ガス室棟が復元されています。収容所棟には最大2万とも2.8万人ともいわれる人が収容されたとのことで、犠牲になった人たちの髪の毛、眼鏡のつる、衣服、義手・義足、靴そしてかばん等の証拠が展示されており、この収容所で実際に何が行われたか、その無残さを見る者に訴えています。
  
   
収容所の入口
大きな欧州白樺がそばにある門の上には「ARBEIT MACHT FREI」という文字が掲げられています。「働けば自由になる」という意味だそうですが、その実態とはずいぶんかけ離れた言葉ではないでしょうか。
 
 
収容所の周りは200Vの電流が流された鉄条網が張り巡らされ、どくろマークと「立ち止まれ」の看板が  
 
収容所に送られた地域を示す絵がありましたが、広範囲の地域から集められたのがわかります。
ここでアクシデント発生!
なんと2台持っていった一眼レフカメラのうち広角レンズをつけたカメラが動作不良、電源をオン、オフと異音がするではありませんか。違うカメラにレンズを付け替えても同様の症状です、以後1台で撮影することに。怨念でしょうか?(帰国後メーカに修理依頼したところオートフォーカスの駆動部の部品の損壊とのことでした。)
 
 
学校の校庭にあるような鉄棒にみえますが、なんと集団絞首台です。
復元されたものらしいですが、変哲もない風景のようでいて余りにも残酷なことを平然と行っていたのでしょうか。
 
   
死の壁
収容者の多くがここで銃殺刑にされたとのことで、訪れる人が捧げる花束が絶えないようです。
思わず合掌です。
  
 
上左は収容所長ルドルフ・ヘスがかんでいた建物で、上右の中央はヘスの絞首刑台です。上右の左側煙突はガス室の煙突です。  
   
   
ガス室(上左)とガス室内部(上方光の当たっているところから殺人ガス「チクロンB」を投入したとのこと)  
 
ビルケナウ第2強制収容所
第1強制収容所からバスで約10分のところにビルケナウがあります。ポーランド語ではブジェジンカと呼ぶ小さな村ですが、ここにドイツ軍が1941年にビルケナウ第2強制収容所を建設したのです。東京ドーム37個分にも匹敵する広大な敷地のビルケナウは、アウシュヴィッツよりも大規模なものであり、ここで数十万人もの人たちが虐殺されたとのことで、当時300棟以上の建物がソ連兵捕虜達によって建設され、現在その一部が当時のまま残されており、内部もそのまま保存されている棟もあります。
 
    
死の門
各地から列車で送られた人たち(といっても有蓋貨車にギュウギュウ詰めの状態で座ることも難しかったようです。)はこの門を潜って中に入るものの、多くの人がも一度潜って外に出ることはできなかったといわれています。
 
監視棟の窓から見る収容所  
建ち並ぶ収容所棟(上左)とその内部(上右:蚕棚のようなベッドが置かれています)  
   
 
アウシュヴィッツビルケナウ博物館の地図

11時50分ビルケナウを後にし、岩塩坑のあるヴィエリチカに向かいます。

 
 
                                
 
    トップ頁に戻る   ポーランドに戻る    ヴィエリチカ岩塩坑を見る