パルミラ遺跡その1
 

タドモル(「タドモール」とも呼ばれます。)にあるこのパルミラ、紀元前1世紀頃からシルクロードの隊商部隊が通過する中継地としてパルミラ王国が栄え、紀元1世紀から3世紀の半ばまででが絶頂期であったといわれています。
しかしながら西暦273年にローマ帝国の攻撃を受けて陥落、その後イスラム帝国の支配下では衰退の一途をたどり、11世紀の終わりに地震により完全に廃墟となってしまったようです。
このパルミラ遺跡は1980年ユネスコの世界遺産に登録されています。
 
 

パルミラ遺跡への東の入り口となる記念門(パルミラ到着日の夜に撮影)
 

記念門から続く列柱通り、長さは1300mあります。(パルミラ到着日の夜に撮影)
 
  
パルミラ遺跡の日の出
前日現地のガイドさんやホテルのフロントで日の出の時間を尋ねたところ5時20分ころとの返事、4時半に起きモーニングのコーヒーを飲んでから、三脚を持って5時過ぎに表に出てみましたが、時間になっても日の出となる気配はなく、あまりにも冷えるので部屋に戻り1枚重ね着をして待つこと20分、6時5分の日の出でした。)
 
朝8時ホテルを出発、遺跡はホテルの目の前です。今日は一日徒歩でパルミラ遺跡の観光です。
  

列柱通り
 
 
  バールシャミン神殿
豊穣の神バールシャミン(ギリシャ語でゼウス)に捧げられた神殿で、その後、教会として用いられていたようです。
 
記念門
入り口が3箇所あるのは中央が動物用〔高いからラクダかも?〕で、両側は人間用であったとか。
 
 
    
 
  記念門の上部
楔形の石によって崩れないよう造られているのがわかります。
 
       
  ナボ神殿
記念門をくぐり列柱通りに入ってすぐの右側にある神殿で、エナベル家の寄付により2世紀頃に建てられた神殿ですが、敷石が残っているだけです。
       
浴場跡
ナボ神殿の斜め左側にあるこの浴場、「ゼノビアの浴場」又は「ディオクレティアヌスの浴場」とも呼ばれている浴場で、床は花崗岩を使っていて、ローマ都市遺跡でよく見かけられる構造の造りとなっており、冷浴室、温浴室等があったようです。
 
 
 
列柱通り
コリント様式の柱が1,300mの間に750本あったようですが、現在修復されて立っているのはそのうちの80本くらいだそうです。
 
 
   
四面門
列柱通りの中央にあたる門で、ジェラシュ遺跡で見たのとは形が違っています。又この門を境に葬祭殿までの列柱通りは角度が9度ほどずれているとのこと。
 
 
 
   
水道管
列柱通り沿いに設けられていたようで、中は丸くしかも接合部から水が漏れないように凹凸の加工が施されているのがよくわかります。
 
円形劇場
朝時間が早いせいか門が閉まっていました。9時からあける見たいで少し周りを歩いていたら係の人が来て早めに門を開けてくれました。ここの劇場も舞台はしっかり復元されていますが、大きさは、ジェラシュの円形劇場より一回り小さい感じです。
 
 
 
 
アゴラ
ローマ都市遺跡ではよく見かけますが、取引所或いは市場として又集会場として利用されていたところです。
 
 
日時計のある列柱
列柱通りにある柱で、柱の真ん中に日時計が造られていました。望遠で撮ってみると確かに日時計です。真ん中の凹んだ部分に時間を表す線が刻まれ、細い釘のようなものが埋め込まれています。でもこんな高いところに造ってみんなよく見えたのでしょうか。
 
 
ニンフェウム(ニンファエウム)
妖精「ニンフ」にささげた泉の神殿ですが、下側の台座の石だけが残っています。
 
 
 
 
 
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