ポツダム
 
ベルリン市内からバスで小1時間のところにあるポツダムはいくつかの湖がある田舎の感じのする町です。ここをとずれるのはこれが2度目、
ユネスコの世界文化遺産に「ポツダムとベルリンの宮殿群と公園群」として登録されているうちの、ツェツィーリエンホーフ宮殿とサンスーシ宮殿の観光です。

ツェツィーリエンホーフ宮殿(Schloss Cecilienhof)
 
プロイセンの最後の皇帝であったヴィルヘルム2世が、家族のため1917年に建設した宮殿ですが、一躍有名にしたのが第2次世界大戦でドイツが連合軍に降伏したあと、第2次世界大戦の戦後処理のため、ソ連軍が占領していたこの地において1945年7月17日から8月2日にかけて開催されたポツダム会談です。会談はアメリカ、イギリスそしてソ連の3ヶ国の首脳が集まって行われ、ポツダム宣言の策定とポツダム宣言が表明されました。
宮殿内には180室の部屋がありますが、そのうち一部が一般公開されており、他はホテルとして利用されています。
 
   
    
   
前回来た時は内部の撮影は禁止されていましたが、今回は3€支払えば撮影可とのこと。入口でお金を支払い撮影許可のタグをカメラに付けて中に入ります。  
     
   
船室を模したサロン
皇太子ヴィルヘルム・フォン・プロイセンの妃が船が好きだったとのことでマストのような柱や天井など船を模して造られています。
  白のサロンと呼ばれるこの部屋は皇太子妃が音楽サロンとして使用していた部屋で、ポツダム会談中はビュッフェに客を招待したソ連側ホストの応接室として使われました。
 
 
        
   
皇太子夫妻と家族の居間兼宴会場として使われていた部屋が会談の場となりました。部屋の天井は船底型で梁がむき出しの構造です。  
 
   
  イギリス側の執務室として利用されたこの部屋は皇太子の喫煙室でした。
イギリス代表は時の首相のチャーチルでしたが、会談の前に行われたイギリス総選挙の結果が7月26日にあり、チャーチル率いる保守党は敗北、チャーチルは帰国して総辞職し、以後の会談は副首相で労働党の党首であったクレメント・アトリーが最後まで会議に出席していました。
 
        
  この部屋は皇太子の図書室として使われていた部屋で、会談時にはアメリカ側の執務室とし用いられ、トルーマン大統領が随行員と打ち合わせを行っていたとのことです。  
        
  中庭にはソビエトを表す「赤い星」の形に赤い花が植えられています。ここも建物は修復中です。  
      
小一時間でツェツィリーエンホーフ宮殿の観光を終えてサンスーシ宮殿に向かいます。  
   
サンスーシ宮殿(Schloss Sanssouci)
 
フリードリヒ2世の命によりポツダム市街の西に、わずか2年という短い工期でロココ様式にて1747年に建てられ、フランス語で「憂いなし」という意味の「サンスーシ(Sans Souci)」と名付けられたこの宮殿、建設当初はフリードリヒ2世の夏の離宮を目的としていたようですが、実際には居城として用いられていたとのことで、平屋造り部屋数わずか12というこじんまりした宮殿です。宮殿の南側には斜面を利用して6段に連なるフランス・バロック庭園様式の庭園が設けられています。
 
    
  オランダ風風車
宮殿の西側にあるこのオランダ風風車は、宮殿を建てる際に宮殿の景観とそぐわないとのことでフリードリヒ2世が取り壊しを命じたそうですが、持ち主の農夫より「生活を奪わないでほしい」と嘆願されそのまま残されたとのことです。
 
   

2段下がったテラスから撮影した宮殿(階段の両脇はぶどう棚でその奥に温室があります。)
 
     
 
     
 
     
   
満74歳でこの宮殿で老衰により亡くなったフリードリヒ2世の遺体は遺言ではこの宮殿内にとのことでしたが、当初は意に反して宮殿にほど近いところにあるポツダム衛戌教会に葬られ、第2次世界大戦中に遺体は各地を転々とさせられるなどの運命をたどり、ドイツ再統一後の1991年に宮殿内のこの地に移され、生前希望した犬の墓(右写真の3枚ある石の下)とともに眠っています。
墓の上に置かれているのは、寒冷でやせた土地でも生育するジャガイモで、王自らジャガイモを食して民衆たちの食糧事情改善に役立たせたとの逸話があり、ドイツ料理によく使われる食材の一つにまでなったとのこと。
 
     
   
宮殿の北側には半円形の広場を囲む円柱回廊があります。  
       
  回廊の中央にあるテラスから見ると下には噴水があり、奥にはルイーネンベルクと呼ばれる遺跡があります。ルーイネンベルクとは直訳すると「廃墟の山」とでもいうのでしょうか、調べると中央に池を設け宮殿で用いる水を供給するための施設を造っていたようです。  
     
グリーニッケ橋
ポツダムからベルリンに戻る途中に渡るハーフェル川にかかる橋で、東西冷戦時代は橋の中央が東と西の国境となっていて封鎖され、一般人は通行禁止となっていました。ここでは米ソ間のスパイの交換が度々行われていました。スティーブン・スピルバーグが監督し、トム・ハンクスが主演した映画『ブリッジ・オブ・スパイ』は、この橋が舞台となっています。
 

 
 
国境を示すプレート
 
スパイ交換時の写真
 
     
 
 
     
     
     
     
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