ルーマニア

バルカン半島の北東部にあるルーマニア、ローマ人の住む土地という意味があるこの国はローマ時代に多数のローマ人がこの地に移住、先住民族のダキア人と共存しつつローマ化したことからこの名がついたとのこと。
ルーマニアは3世紀のゴート人の支配から中央アジアの遊牧民、ブルガール人の支配そしてオスマン帝国、ハプスブルグ家等支配者が入れ替わり、1878年にルーマニア王国が成立するまで続きました。
第二次世界大戦が始まるとソヴィエトが進出してその一部を占領、戦後は王制を廃し共産化されルーマニア人民共和国となり、チャウシェスクが政権を握ると、ルーマニア社会主義共和国として自主独立政権で運営されるものの、次第に独裁化し国民の不満が募るばかりとなって行きました。1989年に東欧各国で民主化の波がおきると、国内でもこれに呼応して民主化のデモが活発に行われ、12月16日に勃発したルーマニア革命によりそれまで続いていた独裁政治が崩壊、民主化が実現されたという歴史があります。
 
ブカレスト

ルーマニアの首都であるブカレストは国内最大の都市で、ルーマニアの文化、産業、金融の中心都市となっています。古い歴史のあるこの街は、独裁者チャウシェスクにより数多くの歴史的建造物が取り壊されたとのことで、かつて「東欧の小パリ」と呼ばれた美しい街並みの面影は残されていないとのことであります。
 
        
革命広場

1989年12月、東欧諸国の民主化の波に呼応してルーマニア国内でも民主化のデモが頻繁に発生、21日にチャウシェスク大統領は共産党本部(下左の写真)のテラス(下右の写真)で演説するも市民の声で中断。22日には数十万の市民が結集しついには党本部に突入し、チャウシェスクはヘリコプターで脱出するもその日のうちに逮捕され、12月25日には公開処刑という画像が流れることとなりました。
 
        
  
    

慰霊塔

 
革命広場にある犠牲者の名前が刻まれた慰霊碑  
        

大学図書館とカロルT世の騎馬像
  統一大通り(正面奥は国民の館  
        
クレッレスク教会
革命広場にある教会で、18世紀に建てられたルーマニア正教の典型的な建物です。
         
      
国民の館

アメリカのペンタゴンについで世界に2番目に大きいといわれるこの建物、国民が窮乏生活を強いられていた1983年に、当時の大統領だったチャウシェスクが、宮殿としてこの地にあった僧院を移設したり取り壊して建設に着手、当時の金で16億ドルもの巨費を投じるも完工するには至らなかったという巨大な建物です。
チャウシェスク政権崩壊時に建設は一時中断するもののその後建設を再開し3000室を超える建物がほぼ完成に近い状態になっているとのこと。建物の正式名称は「議事堂宮殿」であるが、「議会宮殿」、「人民の館」、「人民宮殿」とも呼ばれています。
現在内部は議事堂として使用されており観光客に一部を公開しています。
とにかく大きい建物です。下左は道路から撮影して24ミリの広角レンズで漸く全体が入るほど、下右は中庭からですが結構後ろに下がっても全部入りきりません。
 
        
 
 
内部を見学するにはまずパスポートを預け、大きい荷物はクロークに、空港と同じようにX線検査で チェックを受けての入館です。内部は撮影禁止ですが、30レウ支払って撮影許可を得ます。  
   
 
 100m以上ある絨毯は継ぎ目のない1枚もの、壁、天井のいたるところ純金の装飾が行われた贅を尽くした造りとなっています。  
   
 
議事堂内部(上左)と大会議室(上右)いずれも6ヶ国語の同時通訳ブースがあります。  
   
国内から集められた大理石がふんだんに使われている大ホール  
   
新古典主義の様式で造られた階段は、チャウシェスクののステップにあわせて造られたという。  
   
テラスから見る統一大通り
チャウシェスクはこのテラスでの演説を望んでいたのでしょうか。
 
 
凱旋門
1919年第一次世界大戦の勝利を記念して木造の漆喰塗りで作られたものを、1930年に現在の形に造りかえられた。パリの凱旋門に非常に良く似ていますが市の中心部から少し離れたところにあります。
 
   
旧王宮跡
旧市街にあるこの王宮跡は、「ドラキュラ公」又は「串刺し公」の異名があり、ドラキュラ伯爵のモデルといわれる15世紀のワラキア公国の君主であったヴラド・ツェペシュ(右の写真)が築いた砦の跡ですが、かろうじてその面影を残しているだけです。
   
 
   
クルテア・ヴァケ教会
旧王宮跡の隣にあり1559年に建てられたブカレスト最古の教会です。
 
       
リニューアル中の建物
改装工事中はシートで建物を覆って行いますが、日本の場合は無地のシートで覆うのが殆どですけど、ルーマニアではこのように絵が描かれたたシートで覆っているのを何箇所か見かけました。
 
 
CEC貯蓄銀行
19世紀の終わりに勝利通りに面したところに建てられた銀行で、共産主義時代に古い建物が取り壊される中で残された数少ない建物のひとつです。
 
   
リプスカニ地区のフランス通り
旧市街にあるリブスカニ地区は中世の時代においては商業の中心だったようです。現在は歩行者専用区域となってオープンカフェが建ち並び観光客が多く訪れる地域となっているとのこと。
 
   
 
宿泊したホテルのベランダから見るブカレスト市内。右の写真でひときわ大きくライトアップされているのは国民の館です。  
   

大学広場

 
   
    
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