ローテンブルグとヴュルツブルグ

ローテンブルグ
ローテンブルグは10世紀の後半に最初の集落ができたという古い街で、12世紀には最初の城壁が構築されて14世紀ころには人口も増えて栄えましたが、17世紀の30年戦争を境に衰退したとのことです。第2次世界大戦では街の半分近くが戦火にあいましたが、全世界からの寄付(日本のテレビ番組「世界まるごとハウマッチ」でも紹介され多くの企業や人たちが寄付されたとのこと。)や援助により今では中世の街並みを取り戻しロマンティック街道の中でも観光客が多い街となっているそうです。
レーダー門
レーダー門14世紀に造られたもので、二重の門と塔からなっています。左の写真は外側の門で左右の尖がり屋根は税関と監視小屋になります。右の写真は内側の門と塔で、門と門の間には堀があり、ここは昔跳ね橋がかけられていたそうです。

ゲルラッハ鍛冶屋

城壁の内側には復興のため寄付を行った人たちの名前のプレートが埋め込まれています。

シーバース塔

旧犯罪博物館
重さをごまかしたパン屋への罰のためのカゴ

城塞庭園から見た城塞門

マルクト広場の市庁舎(左)と市参事会酒場(左)

タウバー川にかかる二重橋

     南側のジュピタール稜堡
エリカ(ヒース)の花
ドイツ北部にはエリカ街道と言う名前の街道があるくらいですが、ここローテンブルグの街中にも色とりどりのエリカの花が道筋に咲いていました。
 
ヴュルツブルグ

ローテンブルグで昼食をとり、70km離れたヴュルツブルグに着いたのは午後2時ちょっと前、バスを降りると相当冷え込んでいます。ヴュルツブルグはロマンティック街道の北側の始点となる街でマイン川沿いにあり、その歴史は紀元前1000年ごろまで遡るほど古い街です。変わっているのはこの街が国王支配ではなく、司教が絶大な権力を持って支配していたということです。したがって宮殿も要塞も全て領主である司教のものであったということになります。
レジデンツ
18世紀の半ばに大司教の宮殿として建てられたバロック建築の代表的な建物で、中には世界最大といわれる巨大なフレスコ画が描かれており、階段の間、白の間そして皇帝の間等がありますが、訪れたときは修復中でした。(内部は撮影禁止)
なお、レジデンツは、この写真の宮殿前広場と裏側の庭園を含む形で1981年に「ヴュルツブルク司教館、その庭園群と広場」として世界文化遺産に登録されています。
ホーフ教会
レンジデンツの南西部にある教会で、18世紀半ばに建てられたものです。第2次世界大戦でレジデンツとともに全壊しましたが、修復されて当時の姿に戻ったということでしたが、内部はとても豪華です。
ドーム(聖キリアン大聖堂)
ロマネスク様式のこの建物はドイツで4番目に大きい大聖堂で、8世紀の後半に最初の大聖堂が建てられたが9世紀半ばに焼失。12世紀の終わりに現在の姿で再建されたそうです。しかしながら第2次世界大戦で瓦礫の山になり、1967年までかかって修復されたそうです。

市庁舎(グラーフェンエッカルト)

空襲を受けた後のヴュルツブルグの街を示すジオラマ
(焼夷弾による無差別爆撃で街の80%以上が焼失)
アルテ・マイン橋からみるヴュルツブルグ市街
マイン川にかかるアルテ・マイン橋(旧マイン橋)は16世紀の後半に現在のような橋がかけられましたが、第2次世界大戦で破壊され、1970年代の半ばに修復されたものです。橋の奥にはドームの尖塔が見えます。
マリエンベルグ要塞
13世紀のはじめに築城が行われ、18世紀の半ばまで歴代の司教(領主)の居城として使われたそうです。写真はアルテ・マイン橋から撮ったもので、時間の都合でそばまで行くことはできませんでした。
ヴュルツブルグの観光を終わり、古城街道を通って今日の宿であるヒルシュベルグに向かうこととなりましたが、日もすでに落ち夏のシーズンであれば街道の両側に点在する中世の古城は殆ど見えず残念!の一言。
   ドイツに戻る   ハイデルベルグとリューデスハイム