サラマンカ

サラマンカは古代ローマ帝国時代にはサルマンティカと呼ばれ交通の要所として重要な役割を果たしていた町で、サンティアゴ・で・コンポステーらの巡礼路の「銀の道」の中継地として栄えた歴史ある町です。町は8世紀から11世紀までイスラム勢力の支配下に置かれたこともありますが、レコンキスタにより11世紀後半に奪回されました。
1218年にはレオン王国のアルフォンソ9世によりスペイン最古の大学となるサラマンカ大学が創設されヨーロッパ有数の大学都市として発展し「知識を欲するものはサラマンカに行け」といわれるまでになりました。現在でも週末には夜遅くというか明け方まで学生たちが街中で学生時代を謳歌している姿が見られます。このサラマンカの旧市街は1988年に「サラマンカ旧市街」としてユネスコの世界遺産に登録されています。
また、近年では1994年にユネスコとスペイン政府により開催された「特別ニーズ教育世界会議:アクセスと質」会議において「万人のための教育」の目標実現にむけての「サラマンカ宣言」がだされています。
 
マヨール広場
18世紀の半ばにフェリペ5世により造られた広場で旧市街の中心となるところであり、正面には市庁舎が見られます。
   
貝の家

貝の家と呼ばれるこの建物、16世紀の初めにロドリゴ·デ·マルドナドタラベラという騎士の家としてゴシック、ムデハル様式が混在する形で建てられ、壁一面に300を越すシェルが刻み込まれたユニークな家で、シェルのひとつには宝飾品が隠されているという伝説もあるようです。現在は市の図書館、観光案内所として利用されています。
 
   
 
    
 
中庭の回廊(上左)と回廊の天井(上右)  
   

貝の家(手前)と聖職者の教会(後ろ)

聖職者の教会

巡礼路のシェルのマーク
 
   
サラマンカ大学
1218年創立されたこの大学の正面ファサードは15世紀後半に造られたものでプラテレスコ様式と呼ばれるものでゴシック様式の建物にルネサンス様式の装飾を施したもので、薄浮彫装飾が銀細工を想起させることに由来しています。ファサードにはセルバンテスやイサベル1世、フェルナンド2世の肖像のレリーフが刻まれており、それを見たものは学業が成就するといわれている髑髏の上に乗ったカエルの彫刻もあります。又、1985年に皇太子ご夫妻(今上天皇と美智子皇后)が訪れたたことを示す碑文が残されています。
 
    
 
   
サラマンカ大聖堂
 
サラマンカの大聖堂は、12世紀から14世紀にかけてロマネスク様式で建てられた旧大聖堂と16世紀から18世紀にかけてゴシック様式で建てられた新大聖堂が隣り合わせるというかくっついている珍しい構造で建てられており、正面のファサードにはサラマンカ大学と同じようにプラテレスコ様式の彫刻が施されています。
 
 
 
   
  宇宙飛行士のいる側面のファサード
中世の時代に建てられた教会に何で宇宙飛行士の彫刻があるのでしょうか。どうも修復の際に追加したようです。
 
   
翌朝まだ夜も開けぬ午前6時Sさんと街中へブラリと  
 

マヨール広場

夜を徹して飲んでいた多くの学生たちがこれから家に帰るのでしょうか
 
   
トルメス川で見る夜明け  
   
ローマ橋
トルメス川に架かるこの橋はローマ帝国時代のトラヤヌス帝により架けられたという古い歴史のある橋で、現在のものは18世紀に再建されたものです。
 
 
    道には帆立貝の道しるべがあります。これだけ大きいと夜でも見落とさないでしょうね。   午前7時半ですがもう出発する巡礼者が居ます。ここサラマンカからサンティアゴ・デ・コンポステーラ迄はまだ400km以上あります。今日はどこまで歩くのでしょうか。   
       

朝焼けに染まるサラマンカ大聖堂
 
   
   
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