ザルツブルク その1

ドイツとの国境にほど近い町ザルツブルク、紀元前1800年以前の新石器時代に人類の足跡が見られ、鉄器時代にはすでに岩塩の採掘が行われていたという歴史のある町です。町の旧市街は1996年に「ザルツブルク市街の歴史地区」としてユネスコの世界文化遺産に登録されていますが、前回は旧市街の中心部しか見ていませんので、20年ぶりに訪れたSさんとじっくり観光するよう計画を練っての行動です。
 
        
 

ザルツブルクで泊まったホテルは、ザルツブルク中央駅(左の写真)のすぐそば、駅のそばにある駐車場わきには、愛称の「シシイ(Sissi)」で知られ、オーストリア=ハンガリー帝国の国王であったフランツ・ヨーゼフ1世の皇后エリザベート(正式にはエリーザベト・アマーリエ・オイゲーニエ・フォン・ヴィッテルスバッハElisabeth Amalie Eugenie von Wittelsbach)の大理石像があります。
随分ほっそりとした体形の像なので調べてみると、ウィキペディアによると、身長は172cm、ウェスト51cm、体重は生涯43〜47キロという驚異の体形の持ち主ですが、美貌と痩身であることに執念を燃やし過酷なダイエットを続けていたといわれています。
 
 
 

ホテルのレストランからはホーエンザルツブルグ城が望めます。 
 
   
 


市内のロータリには何故か松の木が、それも日本で見るのと同じような庭木の形をしたのが植えられています。
ロータリーの奥に見える自動車は、市内の交通として活躍しているトロリーバスです。ザルツブルクもかつては路面電車(トラム)が走っていましたが、1953年に全廃されて、普通のバスとこのトロリーバスだけとなっています。
 
 
 


ミラベル宮殿(Mirabell Palace)

1606年に、愛人ザロメ・アルトのために、大司教ヴォルフ・ディートリヒ・フォン・ライテナウが建てたものを、後にバロック様式で改築して宮殿としたものですが、1818年に火災で焼失しており、再建後の現在は市長公邸として用いられる他コンサートホールとしても利用されています。
付属する庭園のユニコーン像が置かれている北側入口にある階段は、映画『サウンド・オブ・ミュージック』の撮影の際に、主演のジュリー・アンドリュースが子供たちと「ドレミの歌」を歌いながら踊ったところとして知られています。
また、この階段から庭園奥に望めるメンヒスベルクの丘にあるホーエンザルツブルク城を見るのが、ベストポイントともいわれています。
   
 
 
 
 
     
 
庭園に配置されたギリシャ神話の彫像  
   
 
   
 


モーツァルトが住んでいた家
ゲトライドガッセで生まれたモーツァルト(ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト)が、1773年から1780年までの8年間住んでいた家で、第2次世界大戦により被害を受けましたが修復され、現在はモーツァルト博物館となっています。また、モーツァルトの父レオポルドはこの家で1787年に亡くなっています。
   
         



カラヤンの家(Karajan Geburtshaus)

マカルト小橋のたもとにあるこの家は、指揮者ヘルベルト・フォン・カラヤン(Herbert von Karajan)が、1908年の4月5日に生まれた家で、内部の公開は行われていませんが、庭にはタクトを振る姿のカラヤンの像が置かれています。
   
          



マカルト小橋(Mozartsteg)
ザルツァッハ川に架かる、歩行者専用のマカルト小橋の欄干には、恋人たちがつける「愛の南京錠」がビッシリとかけられています。前回訪れたときはほとんどなかったのに。(右の写真)
   
 
   
 


モーツァルトの生まれた家

ザルツァッハ川沿いのグリースガッセをハーゲナウアープラッツに入り、ゲトライデガッセに突き当たったところにあるこの家が、モーツァルトが1756年1月27日に生まれた家です。
内部は現在ミュージアムとなっており当時の生活用品や愛用のバイオリンなどが展示されていますが、撮影禁止となっています。
8年前に訪れたときより観光客が多くなっており、特に前回はほとんど見かけなかった大陸系のアジア人が、大勢で訪れていて、入れ代わり立ち代わりで写真を撮っています。

右端の写真は、モーツァルト広場(Mazartplatz)側から見たモーツァルトの生家です。
   
 
 



ゲトライデガッセ(Getreidegasse)
旧市街で一番人気の高い所で、大勢の観光客でi賑わいます。写真を撮ろうとすると、こちらを向いて歩いている人が入り込んでしまうことが多く気をつけなければなりません。タイミングが合えば右の写真のように遠景で入るぐらいの写真が撮れます。このくらいは許容範囲ですね。
人が多い時は、上を向きながら歩いて色々な立体看板や絵看板の撮影を(下の写真)、但し、懐中を狙う人がいますので要注意。
   
 
   
     
 
   



旧市庁舎(Rathaus)

:ゲトライドガッセの南端とジー久ムント・ハーフナー・ガッセのT字路のところにある旧市庁舎ですが、道が狭く建物も密集しているので全体を撮るのは難しく、これが精いっぱいの構図です。
   
 
       



モーツァルトのための劇場(手前側)とザルツブルク祝祭大劇場(奥側)

モーツァルトのための劇場(Haus für Mozart)は、旧称をザルツブルク祝祭小劇場(Das Kleine Festspielhaus)といい、1924年にザルツブルク宮廷の旧厩舎を改築し、祝祭劇場として利用が開始され、ウィーン・フィルハーモニーによる公演やオペラが上演されました。
その後、1960年に祝祭大劇場が完成したことにより、「祝祭小劇場」とその名を変え、比較的小規模のオペラが開催されることとなりました。劇場は2006年にも改修が行われて、その名を現在の「モーツァルトのための劇場」に変更されています。

ザルツブルク祝祭大劇場(Das Große Festspielhaus in Salzburg)は、劇場建設のための土地探しに難航した結果、背後にあるメンヒスベルクの丘の岩盤約55,000立方メートルをくり抜いて、1960年に建てられた、世界最大級のステージを持つ劇場で、ザルツブルク音楽祭、ザルツブルク復活音楽祭の主会場であり、オペラ、コンサートが随時開催されてます。
 
   
 


ザルツブルク大学図書館(左)
図書館のそばにはフルトヴェングラー公園があり、ドイツの詩人であり劇作家であった、フリードリヒ・フォン・シラー(正式な名前はヨーハン・クリストフ・フリードリヒ・フォン・シラー Johann Christoph Friedrich von Schiller)の像があります。調べてもなぜここにシラーの像があるのか出てきませんが、シラーが書いた劇作をここの祝祭大劇場で上演したからでしょうか。
シラーの像の前には大きなキュウリのモニュメントが5本。これは何を意味してるのでしょうか。
また公園のザルツブルク祝祭大劇場寄りにはワイルダーマンの泉(Wilde-Mann-Brunnen)と名付けられ、ザルツブルクの紋章を持った男の像があります。この像は、もともとはザルツブルクの魚市場に置かれていたようです。
   
 
        



コレーギエン教会(Kollegienkirche)

フルトヴェングラー公園に面して、バロック様式で建てられているこの教会は、大学教会(Universitätskirche)ともいい、ザルツブルク大学の付属教会です。
 
   



 ザルツブルク大聖堂(Dom zu Salzburg)

ドーム広場の正面にあるこの大聖堂、東ょは77年にメンヒスベルクの山裾に創建され、その後1181年から1200年にかけて改築され、更に1628年に現在のバロック様式で建て直されたものです。
大聖堂内部は1万人もの信者を収容することができるほどの広さがあり、多数の彫刻と自然光を取り入れたバロック様式による美しい建築であると知られています。
右側の写真は、大聖堂前にあるマリア像です。
訪れたときは広場でイベントがあるようで、観覧席が設けられていました。
   
          
 
 


レジデンツ広場(Residenzplatz)

ザルツブルグ大聖堂の北側がレジデンツ広場です。広場には「レジデンツの噴水」または「アトラスの噴水」と呼ばれる、ザルツブルクで最大の噴水があります。
噴水の左奥はレジデンツ、中央左寄りの塔は大聖堂の鐘楼、そして右側はレジデンツギャラリーとなっています。
 
          
 
 


モーツァルト広場(Mozartplatz)

広場にはモーツァルトの像があり、メンヒスベルクの丘にあるホーエンザルツブルク城が見えます。
 
 
        
 
   
ツアーの計画では、レストランで昼食後にオプショナルツアーが組まれており、ホーエンザルツブルク城に入場した後にコンサートディナーとなっていますが、Sさんと話し合って自由行動で旧市街を回ることにしました。続きは「ザルツブルクその2」でご覧ください。  
 
 
 
    

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