三内丸山遺跡 その2  
     
 
 


2020年の9月以来2度目となる三内丸山遺跡。今回は前回撮らなかった建物内を中心に撮影です。
   
      
 
   
  縄文時遊館内にある三内丸山全体の俯瞰模型
 
   
     
   
  左は掘立柱建物、中央に土葺きの竪穴住居、右側には樹皮葺き住居と茅葺住居
 
 
   
  北盛土がある建物
盛土(もりど)は、建物を建てるときに掘ったときの土やゴミ、焼けた炭、壊れた石器や土器などが長期にわたって捨てられていたところです。
 
 
 

 

 

建物内部に入ると瓦礫のように見れますが、発掘当時のまま保存展示しているのです。
この盛土からは、紀元前3,000年前の縄文時代中期の壊れた土器が発見されていおり、模様のある破片があるのがわかります。
 
 
 
 
   
  子どもの墓
大人の墓は少し離れたところで発見された土坑墓に埋葬されていましたが、子供の遺体は土器に入れて埋葬されていました。発見された棺に使われていた土器にはそこが壊されていたり横に丸い穴があけられていました。中にこぶし大の丸い石が入っていたものもあります。
 
 
内部の状態
 
 
 
土器が発見されたままで保存されています。
 
 
   
  前回は全体の写真が撮れなかったので、大型掘立柱建物跡の写真を載せます。
 
 
  縄文時遊館に入って常設展示されている遺物を見てみます。
 
 
   
  この大型の深鉢型の土器は、煮炊きに使っていたとのこと。右端の土器は直径が10cm以上あり、高さも30cmを超えています。それにしても大きいですね。(重要文化財)
 
 
 
 


木柱

直径が50cm以上あるかと思える木柱ですが、三内丸山遺跡からは直径1mもの栗の木柱が発見されているとのこと。樹齢は何年になるんでしょうね。
      
木製片口容器
  
  青龍刀形石器
 
 
板状の土偶
 
左は針、右は石鏃。いずれも重要文化財(重要文化財指定
 
 
   
  いずれも重要文化財に指定されている円筒式の土器で、下段にあるのは縄文時代前期後半の紀元前3,900年~3,300年頃に作られた細長い筒型で円筒下層式と呼ばれており、上の三段は縄文時代中期前半の紀元前3,300年前~2,800年前に作られた円筒上層式のもので時代とともに形状や模様が変わってきています。
 
 
 

 
 


編籠
 
紀元前5,000~3,000年頃の縄文時代前期に作られたと推測されており重要文化財に指定されています。

 
 

人面突起付土器
八戸市の石手洗遺跡から出土した紀元前3,000~2,000年の縄文時代中期に作られたものと推測され、上部には向かい合うように4つの人面がある珍しい土器とのこと。
 
   
  土版
左端の土版は足型跡、中央右端の土版は手形跡がついていますが、いずれも1歳くらいと思われる子供のもので、上部には紐を通す穴があり、子供の成長を願ったお守り、歩きはじめのお祝いとして用いられていたのではと考えられています。
 
 
   
             
 
 
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