ヴォルビリス遺跡
 
メクネスを出発して約1時間で、モロッコ最大のローマ遺跡であるヴォルビリス遺跡に到着します。紀元前2世紀頃から人が住み始め、紀元前40年後らからローマ帝国の属領となってから繁栄し最大2万人近くもの人がここで生活してい増したが、3世紀になってベルベル人の圧迫で衰退したとのことです。ちょっと見た感じはトルコのエフェソス遺跡に似ています。
19世紀の終わりから発掘が開始されたこの遺跡は現在も発掘が続けられていますが、1997年に「ヴォルビリスの考古学遺跡」としてユネスコの世界遺産に登録されています。
 

デクマヌス・マクシムス通
街のメーンストリートで道の奥にはタンジェ門が見えています。
道の下には下水道の設備が施されていました。

バジリカ
ギリシャ語の「王の列柱廊」を意味するバシリケーに由来するといわれているようです。
ローマ建築では裁判所や取引所に用いられた集会施設等を指す言葉として用いられていたようですが、その後キリスト教会堂の建築をさす言葉として用いられるようになり、現在では教会や礼拝堂そのものをいうことがあるようです。
 
 
  北の浴場
窪みの所に肘をつけ、もたれて入るようになっている
  商店街の跡
  オルフェウスの邸
写真では見難いですが、各部屋の床にはモザイクたいるが施されています。

列柱の邸
 
             列柱の邸
  カラカラ帝の凱旋門
バジリカとともにこの遺跡で保存状態のよい建造物で、西暦217年にカラカラ帝を称えて建てられ、左右対称形で造られています。
カピトール神殿
列柱の上にはコウノトリが巣を作り、雛が生まれているようでした。(右の写真は羽ばたいているところ)
  
  オリーブオイルを絞るのに使用されていた使用されていたひき臼
モザイクタイル
遺跡には数多くのモザイクタイルが残されています。シチリアのピアッツァ・アルメニーナにあるカザーレの別荘にも多くのモザイクが残されていましたが、数的にはこちらのほうが多いようです。ただし、何せ乾燥したこの地方、雨が少ないのと土ほこりがモザイクを覆っていて、あまりきれいに見えないのがチョット残念ですけど。
 
 
ムーレイ・イドリス
ヴォリビリスの遺跡を後にして10分くらい走ると、山の頂まで続く白い家並みが見えてきます。ムーレイ・イドリスの街です。8世紀の終わりにモロッコとして最初のイスラム王朝であるイドリス朝がおかれたところです。『聖者の街』と呼ばれているこの街のながめはヨーロッパの街並みを思わせる雰囲気がありますが、あいにくと遠景から数分間の写真タイムだけで街中を見ることができず、残念!!
後ろ髪を引かれながらムーレイ・イドリスを後にして約2時間、フェズの街に到着。明日は『迷路の街』として有名なフェズの旧市街の観光です。
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