稚内

宗谷丘陵
宗谷丘陵は宗谷岬の南側にあるなだらかな丘陵地帯で、国内でも珍しいといわれる氷河時代に形成された周氷河地形が続いており、北海道遺産として認定されているところです。丘陵には宗谷岬ウィンドファームがあり、合計57基の風力発電機が設置され総出力57,000kWを発電しています。又丘陵には3,000頭近い宗谷黒牛が放牧されブランド肉として出荷されているとのことです。
 
 

宗谷岬ウィンドファーム
 
宗谷黒牛の放牧
 

自衛隊の丸山レーダードーム

周氷河地形
 
   
宗谷岬
稚内の市街から約30km東北にある日本最北端の地としていわれる宗谷岬、通常岬というと尖がった地形を指しているがここは丸みを帯びた地形で通常の岬とは違う形状です。周辺一体は宗谷公園として整備されており多くの観光客が訪れています。岬には「日本最北端の地」の碑がありますが、現在の最北端の地(ロシアが実効支配している北方四島を除く)は岬の北方約1qにある弁天島(岩礁)だそうです。
 
   

日本最北端の地の碑

弁天島
 
   
「宗谷岬」の歌碑
昭和51年(1976年)ダカーポが唄って流行したこの歌、歌碑に近づくとセンサーが反応して歌が流れ出します。
 
   
旧海軍望楼
明治35年(1902年)に建てられたこの望楼、ロシア海軍の動静を監視するため岬の高台に建てられたもので、太平洋戦争まで利用されたようです。
 
 
 
   
宗谷岬灯台
最北端のこの灯台、明治18年(1885年)に最初の灯台が建てられノシャップ岬にある稚内灯台と共に宗谷海峡を航行する船舶の道標となっています。
現在のものは昭和明治45年(1912年)に建てられたものを昭和29年(1954年)に改築したもので、日本の灯台50選に指定されています。
 
   
祈りの塔
昭和58年(1983年)9月、ニューヨークJFK空港を飛び立った大韓航空の007便がソヴエトの領空を侵犯したとして樺太沖にある海馬島付近でソ連軍の迎激戦闘機により撃墜され、乗員乗客の計269人全員が死亡した大韓航空撃墜事件の遺族が建てた慰霊塔で、塔の先端は事件の起きた樺太沖の海馬島を指しているとのことです。
 
   
間宮林蔵の銅像と渡樺の地碑
幕府の役人で隠密でもあった間宮林蔵は、江戸時代の末期の寛政11年(1799年)千島に派遣されこの地に来ていた伊能忠敬に測量術を学び、蝦夷地を測量した後に文化5年(1808年)樺太(サハリン)の探索に入り、翌年樺太が島であることを発見したとのことで、大陸との間の海峡は日本名で「間宮海峡」(国際的にはタタール海峡)と名づけられています。
下左は宗谷岬に建つ銅像で、下右は銅像のある地点から稚内市内よりの道路沿いにある渡樺の地の碑で、右側にある石は当時のものだそうです。
 
 
稚内公園
市内中心部からちょっとはなれた高台にあるこの公園、稚内市街が一望でき晴れた日には遠く樺太が遠望できるとか。公園ができた当初はロープウェーがあったそうだが老朽化のため廃止されたとのこと。ガイドさんの話では日本で一番短いロープウエーであったとか。
 

稚内公園から見る稚内市街
 
氷雪の門
かつて日本の領土であった樺太島民の慰霊碑として建てられたものです。
 
九人の乙女の像(下左)と行幸啓記念碑(下右)
九人の乙女の像はポツダム宣言受諾後の昭和20年8月20日に発生した真岡郵便電信局事件での殉職者を慰霊する碑で、行幸啓記念碑は昭和43年(1968ねん)にこの地を訪れた昭和天皇と香淳皇后の歌碑です。
真岡郵便電信局事件とは、ソ連軍が樺太に上陸してきたことから樺太真岡郵便電信局にて連絡業務のため残留していた電話交換手の女性9人が青酸カリなどを用い自決したとのことですが、碑に刻まれている言葉は実際のものと少し違うようで、「交換台にも弾丸が飛んできた。もうどうにもなりません。局長さん、みなさん…、さようなら。長くお世話になりました。おたっしゃで…。さようなら」というのが史実のようです。
又歌碑には下のように刻まれています。
御製「樺太に 命をすてし たをやめの 心を思へば むねはせまりくる」
御歌「樺太に つゆと消えたる 乙女らの みたまやすかれと たゞいのりぬる」

 
 

南極観測樺太犬記念碑
       

オニユリ

コスモス
 
ノシャップ岬
 映画「喜びも悲しみも行く歳月」の舞台ともなった稚内灯台があるノシャップ岬(漢字では野寒布岬) 、当初ツアーの旅程に入っていなかったのだが時間に余裕があるため急遽追加していただいたところです。近くには南極観測隊の資料館や寒流水族館などがあります。

訪れたこの日は利尻水道の奥にうっすらと利尻富士が望めました。(下右の写真中央)
 
        
 
   
稚内灯台
明治33年(1900年)に初代の灯台がノシャップ岬の高台に建てられ、現在のものは昭和41年(1966年)にこの地に建てられたもので全国第22位の高さ(塔高43m)があり、宗谷岬灯台と共に国際海峡である宗谷海峡を照らしており、日本の灯台50選にも選ばれている灯台です。
 
   
稚内港北防波堤ドーム
高さ13.6m、柱の内側から壁までが8m、総延長427m、柱の総数70本、半アーチ式の構造形式のこのドーム、昭和11年(1936年)に稚内港の北埠頭が樺太航路への発着場として使用されていたときに、風と波飛沫を避ける目的で造られた防波堤で、建設後半世紀を経て老朽化したため昭和55年(1980年)に改築したとのことであり、古代ローマ建築物を思わせる太い円柱となだらかな曲線を描いた回廊で世界でも類のない建築物で北海道遺産に指定されています

 
 
   
 
   
最北端の駅稚内
旭川と稚内を結ぶ宗谷本線の終着駅稚内。太平洋戦争までは稚内港駅(北防波堤ドームのそば)がありその駅が最北端となっていたとのことですが、終戦直後の昭和20年(1945年)8月24日に廃駅となっているため稚内駅が最北の駅となっています。
 
   
   
        
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