ウィーン その1 オーストリアの首都であるウィーン(Wien)、第一次次世界大戦が勃発するまでは、ハプスブルク家の支配下のもとで、オーストリア=ハンガリー帝国の首都として長い間君臨した都市であり、それ以前においても神聖ローマ帝国の帝都でもありました。 ウィーンの街にはユネスコの世界文化遺産2件あります。一つは1996年に登録された「シェーンプルン宮殿と庭園群」、もう一つは2001年に登録された「ウィーン歴史地区」です。前回8年前に訪れたときは、初日と最終日で合わせて1日あるかないかの時間の中での観光でしたが、今回は1日半あります。京都の旅友Sさんと自由行動の作戦を練ってから観光開始です。 |
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リヒテンシュタイン庭園宮殿(Gartenpalais Liechtenstein) 全員での観光開始前にSさんと朝の散歩で訪れたのが、ホテルのそばにあるこの宮殿です。 ボヘミアのリヒテンシュタイン公爵家の三代目当主であったヨハン・アダム・アンドレアス(Johann Adam Andreas)の時代に、バロック様式の建てられた邸宅で、現在は公爵が蒐集した美術品が展示されているほかにイベント会場として利用されています。 庭園内は無料で入れますが、美術館は有料となっています。 |
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午前8時15分全員そろってシェーンブルン宮殿へ、天気は快晴、いい写真が撮れるかな? | ||||||||||||||||||||||||
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宮殿の外壁は、黄金に近い黄色で塗装されており、「テレジア・イエロー」と呼ばれていますが、当初黄金を塗ろうとする案も考えられたようですが、マリア・テレジアが財政を考慮してこの色に落ち着いたとのことで、特に好きな色ではなかったとのことです。 | ||||||||||||||||||||||||
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ウィーン国立歌劇場(Opera Wiener Staatsoper) フランツ・ヨーゼフ1世の時代の1869年に完成したこの歌劇場、ウィーン都市改造計画の一環としてウィーン市庁舎やブルク劇場とともに建設された「ウィーン帝立・王立宮廷劇場」が前身で、モーツァルトの「ドン・ジョバンニ」を上演してこけら落としが行われました。 劇場は、第二次世界大戦時にドイツ軍の爆撃により破壊され炎上しましたが、1955年に再建され、ベートーヴェンの「フィデリオ」の上演より再開されており、オペラ、バレエが上演されています。 |
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下の4枚の写真は、ツアーでご一緒した横浜のKさんが、オペラ座内部を撮影したものをお借りしています。 | ||||||||||||||||||||||||
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オペラ座の前で一時解散、夕方5時半過ぎまで自由行動となり、京都の旅友のSさんに横浜から参加していたSさんが加わって3人で街歩きです。 | ||||||||||||||||||||||||
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ドンナーの泉(Donner brunnen) ケルントナー通りからドナーガッセの道に入り、ノイアー・マルクト(Neuer Markt)に出たところにある噴水で、ウィーン生まれの彫刻家ゲオルグ・ラファエル・ドンナー(Georg Raphael Donner)によって1739年に造られたものです。 |
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シュテファン寺院を見てから3人で昼食を食べ、街歩き開始ですが、その前にザルツブルクと同じように市内の地下鉄、トラムが乗り放題となる『ヴィエナ・シティ・カード(VIENA CITY CARD)』を購入です。 事前に調べたときは、1日券(使用開始から24時間有効)のカードが13.9€となっていましたが、なぜか8€で購入できました。 カールツプラッツ(Karlsplatz)の駅からトラムのDラインでシュロス・ベルヴェデーレ(Schloss Belvedere)駅まで乗って、ベルヴェデーレ宮殿に移動です。 |
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市立公園(Stadtpark) ウィーンの中心部であるリンクのそばに設けられたこの公園は、ウィーン市長アンドレアス・ツェインカの時代の1862年に造られたウィーンで初めての公立の公園です。ウイーンの街は「音楽の都」又は「楽都」とよばれており、公園内にはモーツァルトをはじめ音楽家や画家などの像が多く置かれています。 ただ、この公園近くには高層ビルを建てる計画があり、2017年にユネスコは「ウィーン歴史地区」を危機遺産リストに登録しており、世界遺産に登録される基準の古い街の景観を維持するか、街の発展を願うか難しい問題となっていて、今後の対応次第によっては、2007年に登録抹消されたオマーンの「アラビアオリックスの保護区」、2009年に登録抹消されたドイツの「ドレスデン・エルベ渓谷」に続く3件目の登録抹消にもなりかねません。 |
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ウィーン・コンツェルトハウス( Wiener Konzerthaus) ロートリンガー通り(Lothringerstraße)沿いにあるこのコンサートホールは、1913年に建てられたもので、こけら落としはリヒャルトシュトラウスが作曲した「祝典前奏曲」によって行われています。 内部には大ホール、モーツァルトホールそしてシューベルトホールと3つのホールがあり、随時コンサートが開かれています。また、このホールはウィーン交響楽団とウィーン室内管弦楽団のフランチャイズホールとなっています。 |
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ヨハネス・ブラームス像 レッセルパーク(Resselpark)にあるこの像は、ドイツの作曲家ヨハネス・ブラームス(Johannes Brahms)の像で、1833年ハンブルクに生まれたブラームスは、7歳の時にピアノを習い始め、10歳のときには初めてステージに立ち、13歳のときには居酒屋などで演奏して家計を助けたといわれています。 1857年には『ピアノ協奏曲第1番』を作曲しており、1862年からウィーンに移り住み『ドイツ・レクイエム』、『交響曲第1番』続いて『第2番』、『第3番』、『第4番』を発表しています。 1889年にはトーマス・エジソンの代理人の依頼を受けて『ハンガリー舞曲第1番』と『トンボ』を蓄音機に録音したとのことで、これが史上初めてのレコーディングであるとされています。その後も多くの作品を作曲していますが、生涯親交を保ち続けたピアニストのクララ・シューマンが亡くなった1896年の翌年に63歳でここウィーンで亡くなっています。 |
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3人での街歩きを終えてオペラ座の前に戻り、全員集合してアウエルスペルク宮殿に移動してクラシックコンサートの鑑賞です。 | ||||||||||||||||||||||||
アウエルスペルク宮殿(PALEIS AUERSPERG) |
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クラシック音楽の鑑賞後にレストランでツアー最後の夕食。明日はいよいよツアー最終日です。 | ||||||||||||||||||||||||
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