ウインチェスター(Winchester)
 
   
モティスフォントを出発して約30分でウィンチェスターに到着です。
ここウィンチェスターは、鉄器時代の遺跡も残る古い歴史のある町で、ローマ時代にはウェンタ・ベルガルム(Venta Belgarum)と呼ばれており、6世紀初めにはアングロ・サクソン人が支配し、イングランド7王国のひとつであるウェセックス王国の首都となっていました。
町は11世紀にウィンチェスター大聖堂の建設が開始され、12世紀にはウルブジー城の建設が建設されて繁栄していました。


町に着いてバスを降りたところは、ザ・ブロードウェイ通り。道の中央にはウィンチェスターをイングランドの首都と定め、イングランド統一の基礎をつくった、アルフレッド大王像があります。
通りに面して建てられているギルド・ホールには、市の紋章が刻まれています。
 
 
 
  ギルド・ホール
1871年に、ゴシックリヴァイヴァル様式で建築されたギルド・ホールは、現在は市の観光案内所として利用されています。
 
       
  ザ・ブロードウェイ通りから両側に古い建物が建ち並んでいるハイ・ストリートに入ると、日曜日とあってマーケットが開かれており、訪れる人たちで賑わっていました。  
 
 
 
 
  市立博物館
ウィンチェスター大聖堂のそばにあるこの博物館では、先史時代、ローマ時代そしてアングロサクソン時代とウィンチェスターの歴史を、モザイクとジオラマで紹介しています。
 
   
ウィンチェスター大聖堂(Winchester Cathedral)
正式な名称は聖なる三位一体、聖ペトロ、聖パウロと聖スウィザンの主教座大聖堂(Cathedral Church of the Holy Trinity, and of St Peter and St Paul and of St Swithun)という何とも長い名称のこの大聖堂は、アングロ・サクソン時代の642年頃に最初の教会が創建されたもので、その後1074年に現在の大聖堂の建設が開始されてから、地盤が部分的に不安定なこともあって最終てきに完成に至ったのは16世紀といわれています。
20世紀に入っても崩壊の危険があったため基礎部分の補強が行われていたということです。
大聖堂は、ヨーロッパのゴシック様式の大聖堂としては最も長い身廊と全長で、イングランド最大級の大聖堂です。
   
 
   

長さ170mあるといわれる身廊
 
主祭壇
 
    
    聖墳墓礼拝堂
12から13世紀にかけて描かれたフレスコ画ですが、キリストが描かれているとのことですけど、残念なことに色があせ始めています。
 
     
  ジェーン・オースティン(Jane Austen)の墓
1775年12月16日にイングランド南部のスティーブントンに生れ、18~19世紀イングランドにおける田舎の中流社会を舞台として執筆した小説は、女性の私生活が主に題材となっていて、『分別と多感』、『高慢と偏見』、『エマ』などを発表しています。1815年7月18日にに42歳で亡くなられていますので、今年は没後200年になります。
撮影するタイミングが悪く正面から撮ることができずに横からの撮影となりました。
 
     
南の翼廊   祭壇の上部はあいにくと工事中、両側には棺が置かれてます。  
     

聖歌隊席
  奥内陣  
      

レディチャペル
 
レディチャペルのステンドグラス
 
 
  キングスゲート(Kingsgat)
ウェストゲートともに中世に造られた市の門、

壁には牡蠣と思しき貝の貝殻が埋め込まれています。
この貝殻と見えるものは、市立博物館の壁もウィンチェスター・カレッジの壁にも施されていました。スペインのペニスコラで見た「貝殻の家」とはちょっと感じが違いますけど。
 
 
カレッジ・ストリートにあるこの家は、作家のジェーン・オースチンが晩年を過ごした家で、壁にあるプレートには彼女がこの家に住み1817年7月18日に亡くなったと書かれてあります。
 
   
ウィンチェスター・カレッジ
ジェーン・オースチンの家を過ぎると、ウィンチェスター・カレッジです。
カレッジは、1382年に創設され『行儀作法が人をつくる』をモットーにする、全寮制の男子校です。

『行儀作法が人をつくる』をモットーとしている学校が今の日本にあるのでしょうか。
  入口  
ここにも大きな貝殻が埋め込まれています。
 
チャペル
 
     
ウィンチェスター主教の居館(Bishop of Winchester)
1684年に建てられた主教館、イギリスのキリスト教が、ローマ教皇庁と訣別し、イギリス国教会となった16世紀以降は、「Bishop」を「司教」から「主教」というようになっており、この主教館を建設することで、それまで司教館としていたウルブジー城は廃城とされました。
門から先は、私邸につき立ち入りができません。
   
 
     
ウルヴジー城(Wolvesey Castle)
イッチェン川とその支流の間に建てられたこの城は、12世紀の前半に当時のウィンチェスター司教により創建されたもので、一時期は司教の館として利用されており、16世紀の半ばには英国女王メアリー1世とスペイン王フィリッペ2世の結婚式が城内のイーストホールで行われました。
しかしながら、ウィンチェスター主教の館が建設されたことにより廃城となり、現在は城の遺構が残るだけの廃墟状態となっています。

写真はウィンチェスター主教の館入口から見る城の城壁です
   
     
   
     
 
 
   
町にはウィンチェスター城の遺構であるグレートホールやウェストゲートなどまだ見るところはありますが、そろそろ移動の時間です。12時50分食事するレストランのあるソールズベリーに移動です。  
     
ソールズベリー (Salisbury)
昼食をとったレストランのあるソールズベリーの町は、ウィルトシャー州の州都で、人口5万人位の町ですが、鉄器時代からの歴史があり、世界遺産に登録されているストーン・ヘンジにも近いところです。

レストランを出てグラストンベリーに出発しだしたところ、ドライバーさんのご厚意で当初予定していなかったソールズベリー大聖堂の写真を撮らせてくれることに。
写真はホグステッド時計塔(Hogshead Clock Tower)とエイヴォン川に架かるフィッシャトン橋(Fisherton Bridge)
この時計塔は「リトル・ビッグ・ベンとの愛称があり、町の医師が亡き妻記念して1892年に建てたものとのこと。
   
          
セント・アンズ・ゲート(St Anne's Gate)
セント・ジョージ通りにあるこの門は、14世紀に造られた町の市壁の門のひとつで、この門をくぐり抜けると大聖堂が見えてきます。
   
 
     
ソールズベリー大聖堂(Salisbury Cathedral)
正式な名前は、「祝福されし聖処女マリア主教座聖堂(Cathedral Church of the Blessed Virgin Mary)といい、1220年に建設が開始され、身廊、翼廊、回廊などの順に完成し、そして高さ123mもありイギリスで最も高い尖塔が完成したのが1330年と、他の大聖堂に比べると短期間で完成しています。
   
     
大聖堂の外観写真を撮ってグラストンベリーに向けて15時ちょうどに出発です。    
     
        
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