四谷於岩稲荷田宮神社
 
地下鉄四谷三丁目の駅からほど近い四谷左門町の外苑東通りから一本裏道にあるこの神社は、江戸時代御先手同心であった田宮の家の邸内にあった屋敷社で、初代田宮又左衛門の娘であったお岩さんが信仰して、婿養子の伊右衛門とともにこの社を信仰することで家運が上昇し、「お岩さんの稲荷」として土地の住民の信仰の対象となったといわれています。お岩さんはその後夫の折り合いが悪くなり病を得て寛永13年亡くなっています。
歌舞伎狂言作者である四代目鶴屋南北が田宮家ゆかりの女性の失踪を、貞女であったお岩さんに置き換えて脚本とした「東海道四谷怪談(通称 四谷怪談)」が文政8年(182年)に歌舞伎狂言として初演されるとさらに信仰を集めましたが、明治12年(1879年)に火事で焼失し、中央区新川に初代市川左団次の勧めで移転して於岩稲荷田宮神社が再建されました。ここ四谷の土地は田宮家がその後も管理していて昭和27年(1952年)に再建したものです。
この地は昭和6年(1931年)に東京都指定旧跡となっています。(所在 新宿区左門町17)
 
 
        
   
     
   
       
於岩稲荷陽運寺
田宮稲荷神社と道を挟んで反対側にあるこの陽運寺は昭和の初めごろに建立された日蓮宗の寺院です。陽運寺の境内にはお岩さんゆかりの井戸がありますが、田宮家の土地であったところが道路を造ることにより分断されて井戸のあった所に陽運寺が建立され、その敷地内に於岩稲荷を建立し現在に至ったようです。
   
     
   
   
お岩さんのお墓がある妙行寺
 
豊島区西巣鴨にある長徳山妙行寺、もとは寛永元年(1624年)に赤坂に建立され、その後四谷鮫ヶ橋南町(現在の新宿区南元町付近に移転)し、更に明治40年(1909年)にと当時の東京府の地区改正事業で当地に移転した法華宗のお寺で、境内には田宮家の場所があり、奥には於岩さんの墓があります。
寺の由緒書には「お岩様が、夫伊右衛門との折り合い悪く病身となられて、その後亡くなったのが寛永十三年二月二十二日であり爾来、田宮家ではいろいろと 「わざわい」 が続き、菩提寺妙行寺四代日遵上人の法華経の功徳により一切因縁が取り除かれた。 この寺も当時四谷にあったが、明治四十二年に現在地に移転した」 とあります。
(所在 豊島区西巣鴨4-8-28)
     
 
    
浅野家遥泉院供養塔
田宮家の墓所と並んであるのがこの遥泉院の供養塔です。浅野内匠頭の奥方である遥泉院のお墓は内匠頭と同じ高輪の泉岳寺にお墓がありますが、遥泉院が祖母高光院(初代赤穂藩主浅野長直の正室)の永大供養を当時に依頼したことからこの地に置かれています。
     
 
     
     
     
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