プリズレン
 
マケドニアのスコピエを出発して約20分でコソボとの国境に到着、パスポートにスタンプは押されずに20分で通過し、プレズリンについたのは午後1時過ぎ、レストランで昼食をとって2時過ぎに観光開始です。
ここプリズレンはアルバニアとマケドニアの国境に近いコソボ南部のビストリツァ川沿いにあり、ローマ時代の2世紀には「テランダ(Theranda)」という都市であったことがわかっている古い町です。町は9世紀以降ブルガリア帝国、東ローマ帝国そしてオスマントルコの支配下に置かれていました。
 
        
    
ビストリツァ川越しに見るプリズレンの街並み、山の中腹にはセルビア正教会そして頂上にはプリズレン要塞(カラヤ要塞)が見えます。  
     
プリズレン・アルバニア連盟博物館
1878年にアルバニア人の政治的機関として、バルカン半島のアルバニア人居住地をスラヴ国家による併合から守り、オスマン帝国の下での自治権を獲得することを目的として設立された機関の本部でしたが、コソボ紛争の際に破壊され、修復されてから博物館となり民族や歴史に関する展示品があります。
   
 
     
  バルカン半島の国々の町中を歩くとパプリカがネットに入って売られているのをよく見かけます。日本だとスーパーで1個150円から200円で売っていますが、ネットに入って売っているということは相当安いのでしょうね。  
     
   
ガーズィ・メフメット・パシャ・ハマム
オスマン帝国時代の16世紀に建てられたというモスクで、現在ユネスコの協力により修復中です。
  エミン・パシャ・モスク
プリズレンのサンジャク-地方長官によって1831年に建てられたモスクです。
 
    
アラスタ・モスク(Arasta Mosque)のミナレット
16世紀の半ばに建てられたプリズレンで一番古いモスクですが、社会主義時代の1960年代にモスクそのものは破壊され、このミナレットだけが残されており、2007年に改装されてコソボの歴史的建造物として指定されています。
 
 
     
石橋(Ura e Gurit)
今回の旅はよく石橋を見ます。それも同じような構造で。
この橋もビストリツァ川に15世紀から16世紀にかけて架けられたとのことですので、オスマン帝国時代に造られたと思われますが、20世紀の後半に修復され、コソボの歴史的建造物として指定されています。
     
 
     
シナン・パシャ・モスク(Sinan Pasha Mosque)
ビストリツァ川のそばにあるこのモスクは、オスマン帝国時代の1615年にシナン・パシャ・ベイによって建てられたもので、高さ43mのミナレットを有しプリズレンのランドマーク的存在であり、コソボの歴史的建造物として指定されています。
普段は内部の撮影が禁止されているようですが、現地ガイドさんがモスクの方と交渉して撮影オーケーしてくださったおかげで下のような写真が撮れました。
     
 
     
     
 
   
シャドルヴァン広場
プリズレン旧市街の中心にある広場で、周りにはレストランが建ち並び観光客や地元の若者たちでにぎわっています。
   
     
   聖ニコラス教会
1332年に聖ニコラとその妻ベラによって設立されたセルビア正教の教会で、中央に八角形のドームを持つ構造となっています。教会はコソボ紛争の時に破壊されましたが、2005年よりEU連合の財政支援を受けて復元作業が行われており、コソボの歴史的建造物として指定されています。
     聖ゲオルギウス聖堂(聖ジョージ教会)
1887年に造られたセルビア正教の大聖堂ですがコソボ紛争の際に破壊されその後再建されました。
 
     
聖母マリア大聖堂(The Cathedral of Our Lady of Perpetual Succour )
プリズレン大聖堂とも聖母マリア教会とも呼ばれるこの教会は、ローマカトリックの教会で、1870年に建造されましたが、コソボ紛争により破壊され、現在修復作業が続いています。
 
     
 
   
プリズレン市庁舎
ビストリツァ川のそばに建てられた市庁舎の壁には、コソボの独立を承認した国の名前が書かれています。
日本もコソボの独立を承認していますので、壁の左側の中段あたりに「ARIGATO GOZAIMASU JAPAN」とあります。
     
 
    
リェヴィシャの生神女教会


市庁舎の手前の角を入って100mほど先の右側にあるこの教会は、12世紀にシュテファン王によって建てられたセルビア正教の大聖堂で、オスマン帝国支配下の18世紀にモスクに転用されましたが、20世紀初頭にセルビア正教の教会に戻されています。
教会はコソボ紛争後の1999年から2002年にかけてKFOR(Kosovo Force, コソボ治安維持部隊)により守られていましたが2004年の反セルビア人暴動の際にアルバニア系住民の過激派によりによって破壊されており、修復のため欧州議会が調査を行いましたが、現在に至るまで修復されていません。
この教会は2004年に世界遺産に登録された「デチャニ修道院」がコソボの中世建造物群」として2006年に拡大登録された際に、世界遺産リストに加えられると同時に、他の物件とともに危機遺産となりました。
   
 
   

   
      

インパチエンス・バルフォウリ(ツリフネソウ科)
 
 
     
     
午後4時半プリズレンを出発プリシュティナに向かいます。明日はツアー最終日です。  
     
       
        
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