リエカとイストラ半島の街々

リエカ

「川」という名前のこの街、イストラ半島の付け根にあるクロアチア有数の港湾都市で、オーストリアのハプスブルク家やらヴェネツィア共和国の支配を受けたこともあり、第一次世界大戦後の一時期市内を流れるリエチナ川をはさんでイタリアとユーゴスラビアに分かれることもあったようです。
リエカ市内の観光はありませんでしたが、いつものようにカメラ片手に街中の散策をしてみました。
 
 

リエチナ川の夕暮れ
  
リエカ港の夕暮れ
  

コルゾ通り
 
リエカのランドマークの時計塔
 
     ペタル・クルジッチの階段
宿泊したホテルのそばにある階段でこの階段を登ればリエカの市内が一望できそうなので途中まで登りましたが、なんと上まで登るには580段もの階段を登らなければならないことがわかり、時間も足りないことから途中で断念。
 
 
トルサット城
古代ローマ時代に築かれた砦が中世に城塞となり、19世紀の改築で現在の姿に成ったとのことですが、この写真はリエカからモトヴンに行く途中のバスの中から撮ったもので、実は上のペタル・クルジッチの階段を登りきったところにあるそうで、後で聞いて頑張って登ればよかったと悔やんだものでした。
 
       
聖ヴィート大聖堂
クロアチアの100クーナ紙幣の裏にも載っている大聖堂で、バロック様式とゴシック様式が混在した円形教会です。
 
イストラ半島の街々

イストラ半島はクロアチアの北西部にあるアドリア海に三角形の形で突き出ている半島です。今日10月5日はホテルを朝8時ちょっと前に出発し、半島内にある街々を巡る観光です。

モトブン

リエカを出発してから1時間半くらいでモトブンに着きます。
モトヴンとも記されるこの街はイストラ半島のほぼ中央部にある街で、特に城壁で囲まれた丘の上(カメラのGPSは標高273mを表示)にある旧市街はゆっくり歩いてもわずか30分もあれば一周してしまうくらいの小さな街です。この町は散策するのもいいですがなんといっても遠望がすばらしいです。まさに「天空の街」といった感じです。
 
    
 
 
 パノラマ撮影で見るモトブンの街の遠景( 望遠で撮ると下のような感じになります。)  
     
   
 
旧市街への入口となる「ライオンの門」  
 
  ライオンの門を過ぎてすぐに街中にはするためにもうひとつ門を通らなければなりません。     聖ステパノ教会の鐘楼
 
   

聖ステパノ教会の裏庭

街の周りはこのような城壁で囲まれているので一周できます。

 
   
     
 
   
ポレッチ

モトブンを出発して途中早めの昼食をとった後にポレッチ(ポレチュとも呼ばれています。)に向かいました。12時過ぎにポレッチ到着です。
ポレッチはイストラ半島の西側アドリア海に面したところにあり、ローマ時代から都市として栄え、その後ビザンツ帝国(東ローマ帝国)、ヴェネッツィア共和国、そしてオーストリア帝国などの支配下に、そして第2次世界大戦後の1943年にユーゴスラビアの都市となり、1991年のクロアチア独立の際に他のイストラ半島の都市とともにクロアチアの所属することになりました。

エウフラシウス聖堂
ビザンツ時代の4世紀に最初の聖堂が建てられたというこの聖堂、現在残っているのは6世紀のものといわれる洗礼堂、16世紀に建てられた鐘楼等で、聖堂の中には6世紀ごろに描かれたというモザイク画や床のモザイクタイル画が残っています。
このエウフラシウス聖堂は「ポレッチ歴史地区にあるエウフラシウス聖堂の司教建造物群」として、1997年にユネスコの世界文化遺産に登録されています。

 

聖堂入口上部のモザイク画

聖堂内部の後陣
ビザンツ時代のモザイク画があり、前にある天蓋は1277年に時の司教オットーの命により造られたものとのこと。
 
    

洗礼槽の跡

洗礼堂の八角形の天井
 
 

ビザンツ時代のモザイク画とレリーフ

鐘楼から望むポレッチの街並み
 
    

13世紀に建てられたロマネスクハウス
リエカからモトブン、ポレッチを経てロヴィニに  
   
ロヴィニ
 
ポレッチからバスでイストラ半島を南下すること約40分でロヴィーニとも呼ばれるロヴィニに着きます。ここもアドリア海に面した海辺の街で日差しが強く気温は25℃近くあり歩くと汗が出てきます。ロヴィニはもともと小さな島であったのが18世紀にも海峡を埋め立て本土とつなげたとのことですが、ポレッチ同様にローマ時代から各国の支配を受けたことがあるため、街の旧市街にはその名残である建築物が残っています。
 
 
 

桐の並木道

アドリア海と聖エウフェミヤ教会の鐘楼
 
   

クロアチア広場

クロアチア広場にある後期ルネサンス様式の時計塔
 
   
 
聖エウフェミャ教会
3世紀の始めエウフェミャという少女が車輪で拷問されたあと、円形闘技場でライオンにかみ殺されて死んだということで、その遺体を入れた石棺が埋葬されたコンスタンチノーブル(現在のイスタンブール)から消え、ここロヴィニに流れ着いて教会に埋葬されたという伝説があるとのことで、ヴェネツィアのサンマルコ大聖堂の鐘楼を模して造られたという高さ60mの鐘楼の先端にエウフェミャの像と車輪がおかれています。(右の写真)
 
 
バルビのアーチ
1680年に造られたというこの門、現在はご覧のように両側が建物にくっついていますが作られた当初は市壁の入口であったとか。
 
   

ロヴィニの漁港

聖カタリナ島
 
          
   
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