ルンダーレ宮殿(Rundāles pils)

リガを出発してから約1時間半でルンダーレ宮殿に到着します。ルンダーレ宮殿は、リガの南方約75kmにあるバウスカ(Bauska)の郊外にある宮殿で、ロシア帝国の摂政を務めたビロン公(エルンスト・ヨハン・フォン・ビロン)の夏の宮殿として建てられたものです。
建物は、1736~40年にかけてロシアの宮殿を手 掛けたラストゥレリによってバロック=ロココ様式で建てられ、宮殿の南側に設けられたフランス式庭園をあわせて、その広さは何と東京ドームの19倍もあるとのことです。
宮殿は、フランスのヴェルサイユ宮殿を思わせる雰囲気を持っており、「バルトのヴェルサイユ」とも呼ばれています。

ビロン公について調べてみると、ビロン公はもともラトビア西部地方にあったクールラントという町の馬丁の息子として生まれ、姿かたちがよく、ご機嫌取りが上手なことを武器に貴族に取り入って出世を重ね、驚異的な出世を続けた人のようです。その性格は、意地が悪く、不誠実で、金に汚く、疑り深く、そして恐ろしいほど執念深いといわれていたとのことで、1737年にはロシア女帝のアンナ・イヴァノヴナからクールラント公位を得てこの宮殿を建てたものですが、1740年にアンナ・イヴァノヴナ女帝が死去することによって失脚し、シベリアに追放されています。
 
      
 
駐車場でバスを降りて歩くこと約2分、宮殿が見えてきました。
 
     
   
  門を抜けると広い前庭があり、その先に宮殿が見えます。宮殿内には138もの部屋があり、内部はロココ調のインテリアで飾られ、豊富なコレクションがあるとのこと。  
     
   
     
   
  宮殿内に入りますが、宮殿内で写真を撮る場合は有料となっており、お金を払ってシールを体の見える位置に貼り付けます。
 
 
   
  見学は階段を上がって2階からスタートです。  
     
   
  まずは謁見の間からスタートです。「ゴールドホール」と呼ばれる謁見の間は、大理石を用いた壁と金色のスタッコ(漆喰)装飾が施され、天井には一面フレスコ画が描かれています。  
   
     
     
  グランド・ギャラリー(左)とスモール・ギャラリー(右)
宴会場としても用いられていたグランド・ギャラリーの天井は、謁見の間同様に天井にはフレスコ画が描かれてれていますが、スモール・ギャラリーは質素な雰囲気す。
 
     
   
  ホワイト・ホール(白の間)
当初礼拝堂して設計されていたというこの部屋は、謁見の間とは趣を異にして白いスタッコ装飾で統一されており、壁や天井は牧歌的な情景を描いています。
 
   
   
     
     
   
      
   
  ホワイトホールの隣にある楕円形をした部屋の壁にはスタッコ装飾された台の上に東洋製の磁器の壺や花瓶が45個飾られています。  
     
   
  ズボフスの部屋
1800年頃にこの宮殿の宮殿のオーナーとなったズボフ(Valerian Zubov)が、サンクトペテルブルクから持ち込んで家具によって改装されています。
 
 
   
  薔薇の間
壁一面にピンク色の大理石が施され、バラの彫刻があります。
 
     
   
  宮殿内の各部屋には暖炉が設けられていますが、どうやらデルフト焼きのようです。
 
   
  薔薇の間は、1739年に施された寄木細工となっています。  
     
   
  婦人の化粧室にはお風呂、トイレ、ビデ用の椅子(右奥)が備え付けられています。  
     
   
  ビロン公の寝室は、壁、カーテンそしてベッドまで緑色で統一されています。寝室の床も精緻な寄木細工が施されています。  
     
   
  ビロン公の寝室は宮殿の中央部にあり、窓からは広大な庭園が一望できます。  
     
   
  寝室の隣には謁見の間が設けられています。別名「赤の間」とも呼ばれており、壁はピンク色のシルクが張られています。  
     
   
  イタリアの間にはいくつものイタリアの風景を描いた絵画がかけられています。  
     
   
  「大理石の間」とも呼ばれるダイニングルーム
 
 
   
  ビリヤード台が置かれています。画像では判り難いですが、ポケットビリヤード用のテーブルです。  
   
  宮殿内の見学を終えて庭園に移ります。  
     
   
広大な庭園には花壇も設けられていますが、あまり花は咲いていません。  
   
   
午後5時過ぎ観光を終えてリガのホテルに戻ります。明日は最終目的地のエストニアのタリンに移動です。
 

 

 
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